嘉永六年六月三日。
浦賀沖に、四隻の異国船が現れた。
うち二隻には帆とは別のものがあった。
黒い煙突。
そこから吐き出される煙が、夏の空へ長く伸びていた。
船が来た。
ただそれだけの知らせが、江戸へ届く頃には姿を変えていた。
黒船が来た。
巨大な大砲を積んでいる。
浦賀を焼くつもりだ。
江戸まで来る。
いや、すでに異人が上陸した。
町人も武士も、誰かから聞いた話を誰かに伝えた。
見た者より、見ていない者の方が多い。
それでも皆が黒船を知っていた。
*
「ご隠居」
船宿へ入ってきた宗助は、座るより先に口を開いた。
「来ました」
老人は茶を飲んでいた。
「何隻じゃ」
「四隻。うち二隻が蒸気船です」
「そうか」
それだけだった。
宗助は老人の前へ座った。
「江戸中、この話で持ちきりです」
「そうじゃろうな」
「幕府も慌ただしくなっています」
「そうじゃろうな」
「……驚かれないのですか」
老人が宗助を見る。
「蒸気船が海を越えることは、お主も見て知っておろう」
「それは、そうですが」
「向こうへ行けるなら、向こうからも来られる」
宗助は黙った。
勝麟太郎が同じようなことを言っていた。
外国は近すぎる。
あの男がそう言った時には、まだ浦賀に黒船はいなかった。
「勝様は」
「放っておけ」
「よろしいので?」
「よい」
老人は茶碗を置いた。
「あれには船を見せた。海も見せた。外国も見せた。今度は自分の目で日本を見ればよい」
宗助が頷く。
「それより斉彬は江戸におるか」
「薩摩の?」
「うむ」
「調べます」
「土佐もじゃ」
「容堂様ですか」
「そうじゃ」
宗助は少し考えた。
「なぜ、そのお二人を?」
老人はすぐには答えなかった。
「万次郎じゃ」
宗助の表情が変わった。
「あの二人は、今日初めて外国を知ったわけではない」
「……なるほど」
「万次郎の口から、海の向こうの話を聞いておる」
老人は窓の外を見た。
「町の者は今日、初めて黒船を知った。だが、あの二人は違う」
「聞いていた話が、目の前に現れた」
「そういうことじゃ」
宗助は少し身を乗り出した。
「お二人を引き合わせますか」
「まだじゃ」
「では?」
「まず斉彬と話す」
「何をお聞きに?」
老人が宗助を見る。
「黒船を見て、何を考えたかじゃ」
*
江戸の外れ。
表向きは油を商う店があった。
日が暮れて店を閉めても、奥の一室だけには灯りが残っていた。
四人の男がいる。
三人は日本人。
もう一人は違った。
日本語を話す。
しかもかなり流暢だった。
「浦賀へ入りました」
一人が報告した。
「四隻。予定通りです」
外国人の男は頷いた。
「江戸は?」
「かなり動揺しております」
「武士は」
「異国船を打ち払うべきだという声も出ています」
「町人は?」
「噂ばかりです。黒船が江戸を焼く、異人が上陸する、女や子供をさらうと」
外国人は笑わなかった。
「止めるな」
「はい」
「だが、我々から余計な話を流す必要もない」
一人が怪訝な顔をする。
「何もしないのですか」
「もう十分に恐れている」
男は卓上の紙を指で押さえた。
「恐れている者に、さらに恐れろと言えば、こちらの手が見える」
「では、このまま?」
「今はな」
部屋が静かになった。
やがて別の男が口を開いた。
「以前の男より、ずいぶん大きな種ですね」
外国人の目がそちらへ向いた。
「万次郎か」
「はい」
外国人はわずかに口元を緩めた。
*
「あの男は、どうしております」
「土佐におります」
「そうか」
「帰国後、かなり詳しく調べられたようですが、今は故郷で暮らしております」
「それでよい」
「薩摩でも話を聞かれています」
外国人の指が止まった。
「斉彬か」
「はい」
「やはり食いついたか」
日本人の男が尋ねる。
「最初から、そこまでお考えだったのですか」
「何をだ」
「薩摩が万次郎から話を聞くことを」
「いや」
外国人は首を振った。
「そこまで決められるものではない」
「では、なぜ土佐へ?」
男は少し黙った。
「土佐だからだ」
それだけ言って、卓上に置かれた日本地図へ目を落とした。
「我々がこの国を見始めて、何年になる」
誰も答えなかった。
「将軍が誰であるかだけを見ていては、この国は分からぬ」
指が江戸から西へ動く。
「関ヶ原を忘れていない家もある。徳川に従っていることと、徳川を好いていることは同じではない」
「だから外様へ」
「一つ置いただけだ」
「万次郎を」
「そうだ」
外国人は淡々と答えた。
「あれに何かを命じたことはない。何かを吹き込む必要もなかった」
「アメリカで見たものを、そのまま話せばよい」
「そういうことだ」
別の男が言った。
「しかし、よく帰りたがりましたね」
「故郷がある者は帰りたがる」
外国人は地図上の土佐を指した。
「ならば帰してやればよい」
*
部屋の隅には、古い木箱があった。
その中に何が入っているのか、日本人たちは知らない。
外国人だけが知っていた。
ずっと昔、この国へ渡ってきた者たちの記録。
商人。
宣教師。
船乗り。
そして、戻らなかった者たち。
日本という国は、彼らにとって昨日今日知った土地ではなかった。
「今回は違いますね」
一人が言った。
「何がだ」
「今までとは」
外国人は答えなかった。
「宣教師は言葉を運びました。アヘンは人の中へ入りました。しかし今回は……」
「船が見える」
外国人が続けた。
「はい」
「大砲も見える」
「はい」
「煙も見える」
男は立ち上がり、障子を少し開けた。
外から人の声が聞こえる。
黒船の話だった。
「だから我々が説明する必要がない」
「恐怖そのものが浦賀に浮かんでいる」
「そうだ」
外国人は障子を閉じた。
「万次郎は、外の世界を言葉で運んだ」
振り返る。
「今度は、外の世界そのものが来た」
*
その夜。
宗助は再び船宿を訪れていた。
「斉彬様ですが、話を通せそうです」
「そうか」
「容堂様についても探らせています」
「急がんでよい」
「黒船が来ているのに?」
「だからじゃ」
宗助が首を傾げる。
「今は誰もが興奮しておる」
老人は湯を注いだ。
「驚いている時に出した答えと、一晩考えて出した答えは違う」
「では少し待つ?」
「少しな」
宗助が笑う。
「勝様には急げ、焦るな。今度は待て、ですか」
「人によって違う」
「難しいですね」
「だから人を見るのじゃ」
老人は茶を宗助へ渡した。
「斉彬と容堂には、万次郎という時間があった」
「時間?」
「今日まで考える時間じゃ」
宗助は茶碗を持ったまま黙った。
「他の者より先に外国を知った。その者が、本物の黒船を見て何を考える」
老人の目が細くなる。
「それを聞きたい」
「慶喜様の話は?」
「その後じゃ」
「お二人の答え次第ですか」
「うむ」
*
同じ夜。
油屋では最後の灯りが消されようとしていた。
「次はどういたします」
日本人の男が尋ねた。
外国人は羽織を手に取った。
「何も」
「また、ですか」
「明日になれば、今日より多くの者が黒船を語る」
「それを待つ?」
「違う」
男は羽織を着た。
「見るのだ」
「何をです」
「どこで、何が芽を出すか」
戸へ向かう。
「種を蒔いたからといって、芽を引っ張れば枯れる」
「では、芽が出たら?」
外国人は足を止めた。
少しだけ振り返る。
「育ち方を見てから考える」
戸が閉まった。
江戸の夜には、まだ人の声があった。
黒船。
異人。
戦。
大砲。
誰もが自分の知っている言葉で、見たことのない世界を語っていた。
浦賀沖では、四隻の船が静かに波に揺れている。
船宿では、一人の老人が薩摩と土佐を見ていた。
油屋では、一人の外国人が日本人の心を見ていた。
黒船が来たその日。
それぞれが、同じ国の中で違うものを見始めていた。
▶「裏天正記」幕末編第二部第24話(76)「種を蒔く者」をカクヨムで読む
■ 第24話(76)「種を蒔く者」」考察
嘉永6年(1853年)、浦賀沖に現れた黒船。
日本史では、ここから幕末が大きく動き始めたと説明されることが多い出来事です。
しかし今回の『裏天正記』では、黒船そのものよりも、
「黒船を見る以前に、誰がすでに外国を知っていたのか」
という点に注目しています。
その鍵になる人物が、中浜万次郎です。
万次郎は漂流後、アメリカで生活し、日本へ帰国しました。
彼が持ち帰ったのは物だけではありません。
外国の船、社会、人々の暮らし、そして海の向こうには日本とは異なる世界が実際に存在するという「経験」でした。
つまり万次郎の話を聞いた者にとって、1853年の黒船は突然現れた未知の存在ではありません。
「あの男が話していた世界が、本当に日本までやって来た」
そう受け止めることもできたはずです。
今回、ご隠居が島津斉彬と山内容堂に注目した理由もそこにあります。
重要なのは、二人が後に幕末政治の重要人物になることではありません。
黒船が現れる以前から、外国という存在について考える時間を持っていた。
ご隠居が知りたいのは、その時間を与えられた人間が、本物の黒船を目の前にした時に何を考えるのかです。
一方、敵側も黒船そのものを珍しがってはいません。
彼らにとって日本は、昨日今日知った国ではないからです。
宣教師が日本へ渡った時代から長くこの国を観察し、人々の考え方、幕府と諸藩の関係、外様大名の立場まで研究してきた。
だからこそ万次郎も、彼らにとって一つの「種」でした。
何かを命令する必要はありません。
外国を実際に見た日本人を、故郷である土佐へ帰す。
あとは万次郎自身が見聞きしたことを話せばいい。
その話を聞いた人間が何を考え、どこへ伝え、何を始めるのか。
敵はそこまで完全に操ろうとはしません。
種を蒔き、どこから芽が出るのかを見る。
それが彼らの戦い方です。
そして黒船来航によって、状況はさらに変わりました。
万次郎が一部の人々へ「言葉」で伝えた外国が、今度は蒸気船と大砲という誰の目にも見える姿になって現れたからです。
そのため敵は、江戸の人々を無理に怖がらせる必要さえありません。
黒船そのものが、人々に恐怖や疑問を生み出します。
だから敵はすぐには動かず、
「どこで、何が芽を出すか」
を観察する。
対するご隠居も、すぐに答えを出そうとはしません。
斉彬や容堂が何を考えるのかを見る。
敵も人を見る。
ご隠居も人を見る。
しかし、同じ「人を見る」でも、その目的はまったく違います。
第76話は黒船来航を描いた回であると同時に、これまで水面下で続いてきた戦いが、新しい局面へ入った回でもあります。
黒船を見て、日本人は何を考えるのか。
外国を恐れるのか。
学ぼうとするのか。
幕府を頼るのか。
それとも別の道を探し始めるのか。
まだ、この時点では誰にも答えは分かりません。
だからこそ、ご隠居も敵も動かない。
まず、人を見る。
そして第76話の題名である、
「種を蒔く者」
の本当の意味も、そこにあります。
種を蒔いた者でさえ、
その種がどこで芽を出し、どのように育つのかまでは分からないのです。
