パリ近郊、フォントヴロー侯の館は、深い林に囲まれていた。
重厚な石造りの門が静かに開くと、その向こうに広がる庭園には、まるで舞台のような静けさが漂っていた。
烈馬と霞は、医療支援団体の使節と記者として招かれていた。
この館の主──エティエンヌ・ド・フォントヴロー侯が、貴族社会に疑問を抱き、草たちに通じる何かを持っているという雪村蓮の情報を確かめるためである。
館に招かれた一行は、古いホールに通された。
大理石の床、吊るされたタペストリー、そして微笑みを絶やさぬ侯爵。
「遠方よりようこそ。東洋の賢き方々には、常々敬意を抱いております」
侯はそう言いながら、手を差し伸べてきた。
礼儀は完璧、口調も穏やか。だが──
(言葉が軽い)
烈馬は、直感で何かを感じ取っていた。
侯爵は、草に通じる“折り”を用いた書簡のことを知らぬふりで笑い、
侍女の持つ東洋香も「娘の趣味です」と柔らかくかわした。
それでも、館の中には“何かがある”気配だけが、はっきりと残っていた。
夜、招かれた晩餐の席で、侯は突然こんな言葉を漏らした。
「我々が守ってきたものは、果たして価値があるのか。
この支配の形に、未来はあるのか──」
霞がその言葉に反応し、控えめに問う。
「侯は、変化をお望みですか?」
「変化……それは時に、毒のように忍び寄る。
だが毒にも、治療の糸口がある」
その曖昧な物言いに、烈馬の背中に冷たいものが走った。
(すべてが、誘導されている……)
その夜遅く、館の一室に集まった烈馬・霞・蓮。
霞が報告する。
「証言が、どれも“美しすぎる”の。
使用人の言葉、侯の振る舞い、新聞の報道までが──整いすぎてる」
蓮も頷いた。
「療養所の患者たちも、侯爵の“言葉”を繰り返すようになったわ。
あれは信仰じゃない、“刷り込み”よ」
烈馬は立ち上がり、窓の外を見つめた。
「これは罠だ。希望に見せかけた、おびき出しの餌。
我々の動きが“想定”されている」
その言葉が落ちると同時に、館の外で鈍い馬蹄の音が響いた。
「……逃げるぞ。蓮、準備は?」
「いつでも」
霞が灯りを吹き消し、三人は静かに館を後にした。
後日、館が“盗賊の襲撃に遭った”という報道が新聞に載った。
だが、何も盗まれず、ただ警備の増強が行われただけだった。
馬車の中で、霞が囁いた。
「敵は……私たちの思想の構造そのものを模倣しようとしてるのかもしれない」
蓮も、静かに言葉を重ねた。
「私たちが蒔いた種の“形”を、そのまま真似て、毒の種を撒く……そんな連中よ」
烈馬は、顔を伏せて短く応えた。
「ならば、次の土を選ばねばならぬ。偽りの土では、草は育たぬ」
三人を乗せた馬車は、夜の街道を静かに抜けていった。
真の“次なる種蒔き”の地を探すために──
▶『裏天正記』ヨーロッパ編 第10話「仮面の貴族、沈黙の罠」をカクヨムで読む。
📖第十章 考察:「仮面の貴族、沈黙の罠」──敵は思想の模倣者
1. 希望が“作られたもの”だった衝撃
この章では、草がようやく見つけたかに見えた突破口──反逆をほのめかす貴族フォントヴロー侯が、
実は“敵が仕掛けた模倣の罠”だったということが明らかになります。
ここで重要なのは、侯が完全に“悪”ではない点です。
あくまで「思想の仮面」を被せられた存在であり、
草たちの思想そのものが模倣され、毒として拡散されようとしていたのです。
2. 敵は“草の構造”を分析している
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使用人の振る舞い
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同一証言の反復
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偽装された“草の印”
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草の動きを誘導する偽情報
これらは、敵が単に草を排除するのではなく、草の「構造」を研究・再現し、利用しようとしていることを示しています。
3. 思想戦のフェーズⅡ──模倣との戦いへ
草にとって、これまでの敵は「信仰」や「情報」でしたが、
ここからは「自分たちに似た、偽りの思想」との戦いが始まります。
それは「自分たちの思想が毒として使われる」という、極めて現代的なジレンマでもあります。
