烈馬は床に伏したまま、地図と記録を広げていた。
武器庫は爆破され、倉庫は炎に包まれ、補給船は沈んだ。敵の歩みは確かに鈍っている。
だが烈馬の心には、別の不安が巣食っていた。
「俺たちが去れば……全て元に戻る」
呻くような声に、傍らのミゲルが目を細める。
「じゃあ、どうする?」
「草は、根を張らねば意味がない。ならば……ここに根を残す」
烈馬の眼に新たな光が宿っていた。
その夜、彼は解放された者たちを集めた。黒い肌の男、マラッカから流された女、インドの水夫、混血の少年――出自も言葉も異なるが、皆同じように鎖の跡を持つ者たちだった。
烈馬は静かに言葉を紡いだ。
「俺たちは影だ。刃は一瞬だが、影は百年続く。……影となり、時を裂け」
その言葉は、かつて彰馬から聞かされた教えの反響であった。だが今は烈馬自身の声として響いていた。
沈黙の後、一人の男が前に進み出た。
「俺はここに残る。再び鎖につながれるのはごめんだ。影として戦う」
続いて女が頷いた。
「私も……自由を奪われた者たちに、この火を伝える」
少年は拳を握りしめ、烈馬を見上げた。
「先生、影の技を教えてくれ」
烈馬はゆっくりと微笑んだ。
日々、彼らに符丁や合図を教え、隠密の術を授ける。
情報を伝える小さな符号、目印となる印、敵を欺く影の動き。
彼らの瞳に炎が宿り、それが連なって夜を照らしていった。
やがて烈馬は気づいた。
――ここに草が生まれた。
それは日本の血を持たぬ者たち。だが確かに同じ志を抱く、未来の“草”たちであった。
「俺たちは影だ。だが影は消えぬ。根を張れば、やがて森となる」
烈馬は傷の痛みに耐えながらも、心の奥に静かな確信を覚えていた。
日の本を守る戦いは、この地にも根を張ったのだ。
やがてこの影は、国境を越え、時代を越え、ひそかに網のように広がっていくだろう。
▶『裏天正記』ゴア編 第9話「影を継ぐ者たち」をカクヨムで読む
考察:草は国境を越える
第九話は、烈馬が「草の思想を自分のものとして他者に伝える」転換点でした。これまで彼は刃として戦い、炎を求め、失敗から学びました。しかしここで初めて「刃ではなく根を張る」という理念を理解し、他者に共有する段階へと進んだのです。
特に重要なのは、日本人以外の草が生まれたことです。これまでは伊賀や徳川の忍びが担ってきた「草の戦い」が、黒人奴隷、アジアの水夫、混血の子供たちへと受け継がれました。これは「草」が単なる忍術や技術ではなく、自由を守る思想であり、連綿と続く運動であることを示しています。
烈馬はここで、戦場に立つ戦士から「思想を植え付ける指導者」へと成長しました。彼が伝えた言葉――「刃は一瞬、影は百年続く」――は、彰馬の冷徹な教えを経て自らの信念に昇華されたものです。彼が過去に聞いた「蚕食鯨呑」の言葉を思い返し、草の戦略を実感した第八話からの流れが、ここで結実しました。
また、烈馬が築いたこの現地ネットワークは、物語的に大きな布石となります。彼らはやがて自立し、烈馬や日本の忍びが去った後も、現地で「草」として活動を続けるでしょう。その継続性こそが“草”の真髄であり、日本を守る防波堤となるのです。そしてこの拡散が、いずれ「秘密結社」という形に発展していく伏線となっています。
この第九話は、烈馬の個人的な成長を越えて、物語全体のスケールを「国際化」させた重要な一章です。
忍びの戦いは日本を守るために始まったものですが、ここで「世界をも揺さぶる草の根運動」として広がりを見せます。歴史改変物語としても、非常に大きな意味を持つ章だと言えるでしょう。
