冬の陣が終わったある晩、駿府の屋敷に選ばれし忠臣たちが集められた。
火鉢の灯が、家康の顔を片側だけ赤く照らしていた。
その眼光に、誰一人として目を合わせられなかった。
黙して膝を折る男たちの前で、家康は静かに地図を広げた。
地図には、日本列島を中心に、ルソン、マカオ、ゴアの地名が墨書きされていた。「戦は、ひとまず終えた。しかし……この国はまだ治まってはおらぬ」
低く響く声に、座の者たちは息を呑んだ。
「敵はすでにこの国にいる。だが、刀を抜かぬ。
奴らは“信仰”と“商い”で民を包む。そうして、内より国を食うのだ」家康の指が、地図上の「ルソン」を叩いた。
「ここ、かつて倭人が異国の軍に加勢した。
金と引き換えに異人の旗を掲げ、我らの刃を振るったのだ」伊賀の頭・服部半蔵が静かに進み出る。
「すでに我らの“草”が報せております。宣教師は港を押さえ、書を配り、女を抱かせ、心を縛っております」
家康は火鉢を見下ろしながら言った。
「表の戦が終わった今こそ、“裏”の備えが要る。
民の心を守るため、我らは名もなき兵を放たねばならぬ」井伊直孝が眉を上げる。「名もなき……?」
「名は要らぬ。褒美も墓も要らぬ。
わしの命のみを背に、この国を影から守る者……」「“草”じゃ」
▶ 裏天正記 第2章第1話 :影の布陣 ― 密夜の会議をカクヨムで読む
📝【考察】なぜ家康は“草”を創設したのか?——裏の戦争の始まり
■ 史実上の「戦の終わり」、そして「外の火」
大坂冬の陣(1614年)で豊臣勢力は実質的に封じられ、家康は表の戦いを勝ち抜いたように見えます。
しかし彼は、戦が終わっても国の脅威が消えていないことを感じていました。
それが「信仰による支配」「交易による依存」「思想による侵食」——
つまり、**目に見えぬ“静かな侵略”**です。
■ 家康の冷静な危機認識
本編では、家康が「ルソン(フィリピン)に倭人が参加した」事実を挙げています。
これは史実にもとづいた設定で、1600年代初頭のマニラには実際に多くの日本人が居住・従軍していたことが知られています。
家康はそれを見ていた。
“戦で勝っても、信仰で心を取られれば、国は落ちる”——
この視点が『裏天正記』全体の思想の根幹を成します。
■ 草という存在=“裏の正義”
草とは、名を持たず、記録に残らず、ただ命令を果たす者。
その存在を創り出すことで、家康は「表の政治の限界」を補おうとしたのです。
このパートでは、忠臣たちが驚き、やがて覚悟を決めて“裏の任”に挑む序章が描かれています。
特に「草」という名称が与えられる瞬間は、その命がすでに“散るもの”として扱われている重みがあります。
■ 次回に向けて:名なき者たちの誕生
次の回では、選ばれた者たちが“草”として名を捨て、家康から「偽名」を授かる儀式が描かれます。
それは忠誠の証であり、存在を消すことの覚悟を形にする通過儀礼です。
名を捨て、使命を背負った者たちの影の物語が、いよいよ始まります——。
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