一条兼良の覚え方◇C中世265 | 東海林直人のゴロテマ日本史ブログ

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*受験生を応援したいと思っています。これらは勤務校の教え子に紹介してきたものですが、全国の受験生に紹介し、少しでも役に立てばと思います。なおゴロ句は苦労の発明品につき、無断複製・転載は禁止です。

□中世265.一条兼良の3著作 ◇C

[ゴロ]カネ良し課長と/9時越えの/商談しよう

(一条兼良(かねよし)・花鳥余情(かちょうよじょう))(公事根源(くじこんげん))(樵談治要(しょうだんちよう))

[句意]金がすべての(イヤな)課長と夜の9時越えて商談するんだ、というやる気の句。

[ポイント]
1.一条兼良の著書は『樵談治要』『公事根源』『花鳥余情』。

[解説]
1.一条兼良(1402~1481)は、9代将軍義尚へ政治意見書(帝王学の書)『樵談治要』(1480)を献じた。

2.『公事根源』は有職故実書、『花鳥余情』は源氏物語の注釈書である。

3.その他、『日本書紀』の注釈書『日本書紀纂疏』(にほんしょきさんそ)もある。全6巻。『書紀』の神代巻のみを注釈したもの(1455~1457)で、後世の研究に大きな影響を与えた。

4.『大乗院寺社雑事記』の尋尊(1430~1508)は一条兼良 の子。


5.(ついでに)応仁の乱(1466~77)の最中、8代義政は将軍職を義尚に譲り、その後、東山山荘を設けて銀閣を建て、さらに善阿弥にその作庭を命じるなどしている。


〈2016慶大・法〉        

問イ 『日本書紀纂疏』の著者は、応仁の乱のさなかに将軍職に就いた室町幕府9代将軍にあてて、後に『[ 38 ]』を献上した。」

(答:樵談治要 ※原問題には選択肢83あり)〉


〈2015明大・商:「
 室町時代には、将軍足利義政の正室目野富子が厭世的な義政にかわり幕府の財政を握り、活躍した。ただし、富子の政治活勤については、実子[ 5 ](1465~89)を将軍継嗣としようとしたことが応仁・文明の乱の原因の一つとなるなど、当時においても批判が絶えなかった。そのなかで、『公事根源』の著者として知られ、有職故実に秀でた公家の
e【1今川了俊 2二条良基 3吉田兼倶 4一条兼良 5東常縁】(1402~81)は著書『小夜のねざめ』のなかで、この日本国は和国とて、女のおさめはべるべき国なり」と述べて、富子の執政を肯定している。

(答:5義尚、e4)〉

〈2013早大・文化構想:「

問4 下線b一条兼良の著作はどれか。2つ選べ。

 ア『河海抄』 イ『花鳥余情』
 ウ『公事根源』
 エ『庭訓往来』
 オ『風姿花伝』」


(答:イ・ウ)〉


〈2012立命館大・法文済営など:「

 鎌倉幕府成立後、政治の実権が次第に武家の手に移り、公家が経済的にも困窮してくると、朝廷儀礼の執行も滞るようになった。しかし、朝廷政治の本来のあり方を示そうという意図のもと、[ C ]天皇が『建武年中行事』を著したように、公家社会では有職故実の考究が進められるようになり、多くの故実書が編まれた。そして室町時代には、当代屈指の才人として公武に崇敬された一条兼良もその伝統を受けつぎ故実書を記した。彼が朝廷儀礼解説の典拠として重んじていたのは、「末代の公事これに過ぐべからず」と評された『[ D ]』であったことが知られる。

問1 空欄[ C ]にあてはまる、もっとも適当な天皇名を答えよ。


問2 空欄[ D ]には、大江匡房が関白藤原師通の要請によって著述したと考えられる儀式書の名称が入る。もっとも適当な書名を答えよ。


(答:C後醍醐、D江家次第)〉