□近世275.豊臣政権の五奉行 ◇C
[ゴロ]麻の身なりと/髷(まげ)で/なつかれました
(浅野長政(あさのながまさ)・石田三成(いしだみつなり))(前田玄以(まえだげんい))(長束正家(なつかまさいえ)・増田長盛(ましたながもり))
[句意]麻の身なりと髷の格好でなつかれました、という句。「増田」「長束」の読みには注意。なお当時は、「五奉行」の呼び名は無く、は「年寄共」などと呼ばれていた。
[ポイント]
1.豊臣政権の五奉行は、長束正家・浅野長政・増田長盛・前田玄以・石田三成。
[解説]
1.五奉行・五大老は秀吉の晩年に設置された。五奉行は秀吉の腹心の石田三成らが任命され、検地・裁判・大名統制・財政などの実務を分担した。浅野長政は姉川の戦の浅井長政と混同しないように注意。またこの浅野長政と前田玄以は関ヶ原の戦いには、東軍家康方につき所領を安堵された。小早川秀秋(大老だった小早川隆景の養子)に次ぐもので、裏切りは朝飯前だ(→朝のメシ前だ→浅野メシ前田)というわけ(笑)。
2.浅野長政(1547~1611)は、司法、23万石、五奉行首座、家康の囲碁友だち。関ヶ原の戦で東軍(家康方)。
3.増田長盛(1545~1615)は、土木、20万石、西軍(ただし参戦せず)。
4.石田三成(1560~1600)は、行政、21万石、西軍で奮戦。
5.長束正家(?~1600)は、財政、12万石、西軍で奮戦。
6.前田玄以(1539~1602)は、寺社庶務、5万石、西軍だが家康に内通。
〈2014法大・文法経営「豊臣政権で政務の中枢を担当した腹心の家臣を五奉行というが、以下のa~eのなかから五奉行でない人物を一人選び、その記号を解答欄にマークせよ。
a浅野長政 b石田三成 c福島正則
d長束正家 e増田長盛」
(答:c福島正則)〉
〈2013学習院大学・経済:「
豊臣秀吉政権は太閤検地を行うが、これによって荘園制での重層的な土地所有関係を否定し、直接耕作者を検地帳に登録して年貫負担者とした。検地帳に登録された百姓は、田畑屋敷地を所持するとともに、持高に応じた年貢・諸役を負担する義務を負ったのである。秀吉は五奉行のひとりである(11)〔イ小早川隆景 ロ上杉景勝 ハ前田利家 ニ宇喜多秀家 ホ浅野長政〕へ、検地に反対する者は「なでぎり」にしてまでも検地を断行するよう命じた結果、太閤検地は全国へ及ぼされた。そして、江戸幕府も太閤検地の方式を継承した。」
(答:ホ)〉
〈2012立大・全学部2/6実施:「
問11 下線部(五奉行)の職に任じられなかったのは誰か。
a.浅野長政 b.石田三成
c.小西行長 d.前田玄以
(答:c)〉