中世歌謡史の覚え方◇C中世264 | 東海林直人のゴロテマ日本史ブログ

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*受験生を応援したいと思っています。これらは勤務校の教え子に紹介してきたものですが、全国の受験生に紹介し、少しでも役に立てばと思います。なおゴロ句は苦労の発明品につき、無断複製・転載は禁止です。

□中世264.中世(近世)歌謡史(発展順)  ◇C

[ゴロ]人形浄瑠璃は/恋う唄の/流儀だよう節


人形浄瑠璃(じょうるり))(小歌(こうた))(達節(りゅうたつぶし)・義太夫節


[句意]人形浄瑠璃は人を恋う唄の流儀、すなわち恋唄からの流れの芸能だよう、という句の末尾に勢いで「節」をつけたもの。


[ポイント]

1.中世から近世の歌謡は、小歌隆達節義太夫節と変遷し、のち義太夫節に合わせる人形浄瑠璃公演がおこなわれた。

[解説]

1.小歌は、流行歌などの小歌曲。室町時代から広く流行。恋の歌が多い。小歌の歌謡集に『閑吟集(かんぎんしゅう)』(1518成立)があり、小歌を中心に310余首を収録している。当時の庶民生活を知る好資料でもある。

2.隆達節(隆達小歌)は、堺の商人高三隆達(たかさぶりゅうたつ)(1527~1611)が三味線(しゃみせん)(琉球の蛇皮線(じやびせん)を改良したもの)の伴奏でが節付(ふしづけ)した小歌節(こうたぶし)。


3.浄瑠璃(じょうるり)は、室町中期、座頭(ざとう)(僧形の盲人のこと)が語るように歌った物語的音楽。のち江戸元禄期の竹本義太夫(たけもとぎだゆう)(1651~1714)が義太夫節として完成し、盛んになる。人形浄瑠璃はその浄瑠璃に合わせて人形を操る日本独特の芸能。竹本義太夫は1684年大坂に竹本座を開き、近松門左衛門の作品を口演し全盛を迎える。


4.なお、常磐津節(ときわづぶし)・清元節(きよもとぶし)・新内節(しんないぶし)は義太夫節から派生。また明治以降の人形浄瑠璃公演は文楽座(ぶんらくざ)が中心になったため文楽(ぶんらく)と呼ばれる。


〈2016関西学院大学・全学部2月2日:「

 次の文章について、a・bそれぞれの正誤を判断しなさい。

4a 平安時代になると仏は神の化身であるとする本地垂迹思想が広まった。この思想を反映する美術作品で早いものとしては、薬師寺僧形八幡神像がある。


 b 院政期には後白河上皇によって、民間の流行歌である今様を収録した『閑吟集』が編まれた。」


(答:a×神が仏の化身であるが正しい、b×今様ではなく小歌を収録)〉


〈2014同志社大・文:「

 また、琉球渡来の蛇皮線を改良した三味線を伴奏楽器にして、操り人形を動かす人形浄瑠璃も流行した。これは室町時代に語り物の1つとして生まれ、元来、琵琶などによって伴奏されていた浄瑠璃節と、古代以来行なわれていた芸能の1つである人形繰りとが結合したもので、この時期、三味線を導人したことによって大いに広まった。k堺の商人が小歌に節づけをしたものも民衆に人気があり、盆踊りなども各地で盛んに行なわれた。

【設問k】この商人の名前は何というか。漢宇で記せ。」


(答:高三隆達)〉


〈2014明大・農(食料環境政策):「

問10 下線部キ)都市や村の祭礼、芸能、住宅建築などで現在の日本の生活様式に直接つながる文化に関連して、当時の庶民の間では、盆踊りや幸若舞・古浄瑠璃や小歌などが愛好されたが、1518年に編集されたといわれる小歌の歌集を何というか。下記から最も適切なものを一つ選べ。

 A大筑波集 B御伽草子 C閑吟集
 D新撰菟玖波集 E節用集」


(答:C)〉