阪神大震災から20年 | たかのけんのひとりごと。

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学生時代はアルバイト情報誌片手にバイト漬け。そのうち、自分で仕事を創り出すことを思いつき、20歳で社会留学。現在のスリープロ(2375)を創業。皆様に支援頂き上場、2010年退任。2015年リハビリ期間?をおいて再スタート。改めてよろしくお願いします!

もう阪神大震災から20年。。。
本当に言い表せないくらい色々なことがあった20年でした。

20年前を少しだけ思い出しました。。。
当時はまだ立命館大学のテスト最終日。
震災直後は状況がよく分かっておらず電車が止まってしまい学校に行けないからテストが無くなったー❗️と喜んでたような。。。いま思うと本当に不謹慎でしたが。ただ、そのくらい被害状況が分からなかったのです。

そこから半年後。
神戸ハーバーランドにあった西武デパートが撤退するとのニュースと共に、神戸の起業家の大先輩でもある人材派遣パソナの南部代表が《西武の後は南部だっ!》と、なんとも微妙なギャグと共にデパート跡地にインキュベーション施設を作るというニュースを見ました。

僕にとって、リクルート江副さんに続いて、お二人目に出会った起業家でした。
そして実際に会いにお会いした初めての方でした。当時、学生だった身分では本当に衝撃的だったと記憶しています。

はっきり覚えているのは、南部さんにまるで後光が差しているように見えました。
神様か仏様か、、、、というように。

そしてスリープロの前身である個人事業になっていきました。その当時はあまり起業という意識はなく、アルバイトの延長という程度の甘い考えでした。

あの当時、バイトながら月に20万稼いでいたのも書いているうち、思い出しました笑

そこからパソナのビジネスプランコンテストに何度もトライしましたが結局、一度も認められませんでしたが、何もわからないながら四苦八苦しつつ、事業計画書を作ってました。
経理の本、会社設立の本、事業計画の作り方の本、勉強嫌いの筈が学校よりもよほどのめり込み自らやってたなと。

そして結果的にはたまたま大学に行った時に見かけた京都市ベンチャービジネスクラブという堀場会長などが発起人である京都市のコンテストで賞を頂いたことから話しが一気に事業化をするべく進んで行きました。そうそう探偵ナイトスクープにも取材されたな。。。と思い出しました。
親に内緒だったのに隣の家の人が見ていて大騒ぎになったり。。。。

続きはまた何かの際に。