2024.4.2.
遠州めぐり最後、1時間ちょっと程時間に余裕があったので!気になっていた二俣城跡へ
真っ先に御城印をGETたまたまタイミングが良く!入荷されたばかりの限定御城印でした
二俣城は永禄11年(1568年)からおよそ7年にわたって、武田氏と徳川氏がその領有をめぐって激戦を繰り広げた場所です。
この地は天竜川と二俣川の合流地点にあたる天然の要害であり、遠州の平野部と山間部を結ぶ交通の要衝でした。
元亀3年(1572年)、武田信玄は遠江へ侵攻二俣城へ攻め寄せましたよく防戦していましたが、武田軍によって水の手にあった井戸櫓を破壊され!水を断たれた徳川軍は間もなく開城します🏳
天正3年(1575年)、徳川家康は長篠の戦いで勝利をおさめると、本格的に二俣城奪還に乗り出します。鳥羽山に本陣を置き、二俣城の周りに砦を築いて包囲し攻撃何度か撤退を余儀なくされますが、ついに武田軍は降参🏳️兵の安全な退去を条件についに開城しました。その後、家臣の大久保忠世が入城しました。再び武田軍の攻撃を受けますが!守り切りました🙌
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により家康は関東へ移封(国替え)となり、浜松へは堀尾吉晴が入城しました。二俣城の天守台や石垣は、その時期に築かれたものと推定されています。
その後、関ヶ原の戦いを経て二俣城は城の役目を終え、廃城となりました。
直ぐ側の🅿に車を停めて攻城開始
公園化されているので、どれほど楽しめるかな
北曲輪跡には、神社
そして、直ぐに本丸へ
北曲輪と本丸の間の堀切
(搦手門跡)
(本丸)
(天守台)
小さいながらも🏯天守が在ったそうですね
そして、二の丸~大手へ
(中仕切門跡)
(大手門跡)
南の丸1へ
二の丸と南の丸1の堀切
(南の丸1)
土塁と石垣
南の丸1
土塁跡
石垣跡
(堀切)
二俣城と言えば井戸櫓 こちらは復元されたもの
もう一つ、二俣城と言えば!松平信康の最後の地
1579年(天正7年)、家康の嫡男信康と正妻の築山殿が武田に内通しているという事件が!?信長は、家康に2人の処刑を求めます。内通の信憑性は疑わしいものでしたが家康は築山殿を殺害し、信康に切腹を命じました。
残念ながら中には入れず