井伊直親の墓所 | かまのん紀行

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2024.4.2.

 

『井伊直親の墓』へ。
直親の亡骸は、都田川の河岸で荼毘に付され、この地に埋葬されました。

 

 

 

 

井伊家領主の直盛は、男子に恵まれなかったため1544(天文13)年、直盛の叔父の直満は自分の嫡男、亀之丞(後の直親)を跡継ぎにしようとしました。しかし、その事に反発した家臣、小野和泉守の密告により、直満は謀反の疑いをかけられ、弟の直義とともに今川義元に自害させられます。
さらに亀之丞も命を狙われた為、家臣に連れられ井伊谷から信濃国伊那郡松源寺へ出奔。

その後、1555(弘治元)年に井伊谷への帰参が叶うと、祝田を拠点とし、奥山朝利の娘ひよを妻とした。(この時、出来た子が後の直政。)
1560(永禄3)年、養父の直盛が桶狭間の戦いで戦死したため、家督を継ぐ。しかし、小野政次の讒言により、主君の今川氏真から松平元康との内通の疑いを受け、陳謝のために駿府へ向かう道中の1562(永禄5)年12月14日(もしくは1563年1月8日または同年3月2日)、掛川にて今川家重臣・朝比奈泰朝の襲撃を受けて殺害された。享年27歳。

 

 

嘉永4年(1851)、井伊直弼は墓参に訪れたおり灯籠1対を寄進しました。その墓は200mほど東にありましたが、 堤防移築のため昭和52年(1977)12月、ここに移転しました。