2024.1.5.
備中高松城水攻め、陣巡り 小早川隆景の鷹ノ巣城跡の帰り、もう一つ気になっていた羽柴秀長の陣所「鼓山」へ
秀吉の本陣「石井山」の少し後方で左翼を守る位置に在ります。
アタック登山道は、全然整備されていないし、案内も無いので、何となくで進みます
途中、石積みが有ったかのような一角があり沢山の石が散乱しています。
それから、鉄塔までココまでは問題なく来れます
木々が生い茂り、景色は悪い
そして、ここから山道もなくなり、感で直登
足元は草が生い茂り!道なき道を進(若干、獣道程度には見える)
草が凄いし、道も分からず! 途中、諦めて下山しようかと思ったが 草を掻き分け頑張って進むと
本陣跡に到着~ 道案内は無いし、遺構も無いが、この看板が見えた時は、来て良かったと思える
山頂には古墳があって、ここを本丸として山腹には三段構えの土塁で固め、馬場や出丸で構成された曲輪を配していたようだ。現在では、僅かに曲輪が確認できる程度、
景色は、一切見えない
そして、麓に下りてきて「藤田伝八郎の墓」へ。県内の人なら、一度は県道から線路の向こうに見た事もあるだろう
藤田伝八郎は、明智光秀の家臣で、本能寺の変の後、備中の毛利方へ密書を持って行ったうちの一人。 藤田は、陸路を行くのだけど 備中での毛利と秀吉の戦の様子は知らないはず!
毛利方の陣に着く前に、羽柴軍の包囲網に引っ掛かり本能寺の事が秀吉に知られてしまいました。そして、情報が漏れないように処刑されてしまいます!ここ鼓山の麓にお墓があります。
R180から