2024.1.5.
羽柴秀吉の、中国攻めの時、毛利は「備中七城」と呼ばれる七つの城の防衛線を張りました
その中でも、中心の城となったのが、清水宗治が守る備中高松城
毛利軍が援軍として来た時は、既に水攻めが行われ城は水の中でした。
ずっと気になりながらも、身近過ぎて後回しにしていた鷹ノ巣城跡へやっと、時間をつくって行ってきました
(いつも、よく見る景色
)
主力を率いた小早川隆景軍(約20000) 高松城から離れた江田山に陣を置きました
江田山は、日差山と尾根が繋がり大軍を配置できます
その先に、高松城方面を見渡せる「鷹ノ巣城」と呼ばれる場所が在るのだけど、砦の規模です
そこを隆景が本陣としました。
すっかり包囲された高松城。救出出来ず見てるだけでしたとりあえず援軍には来たが!助ける気が無かったとも
何通りか登城ルートがある様ですが、自分は日差寺からアタック
日差山を抜けて江田山の稜線を通り鷹ノ巣城跡へと向かいます
日差山と江田山の中間位!? 自然と言うと不思議な地形に 土橋の様な土塁の様な
日差山側から攻められた時用の土塁だと面白いかな
そして、江田山の尾根へ
当時、この辺りには既に小早川軍が(足軽など)野営地にしていたでしょう
そして、鷹ノ巣城跡へ 鷹ノ巣城との間には堀切があります。(この鷹ノ巣城と呼ばれる城Or 砦がいつ頃から存在していたかは不明)
鷹ノ巣城側には一部石垣が
今は、崩れて(崩して)通れるようにハイキングの道になっています
鷹ノ巣城から
『鷹ノ巣城』
鷹ノ巣城からは、高松城や羽柴軍(織田軍)の陣が一望できます
少し離れて吉川元春の陣所も 手前の造山古墳にも小早川軍が陣を置いていたようです