池田輝政や利隆 池田家の菩提寺『萬歳山 国静寺』 | かまのん紀行

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日常の事や、旅行での事、寺社巡りや史跡巡りなど行った所を日記形式で載せます♪

2021.7.26.

 

岡山藩池田家宗家の祖である池田輝政・利隆の菩提寺。

 

にやり 昔、曹源寺や和意谷など、最近は上差し天城池田家の墓所など、池田の史跡巡りをしてます! 近い事もあり、ここだけ後回しにしていましたうーん 思い立ったが吉日チュー早速行って来ました~ウシシ

 

國清寺は臨済宗妙心寺派の禅寺。 建立したのは姫路城主・池田輝政の嫡子である池田利隆パー

 

慶長14年(1609)岡山藩池田家宗家2代池田利隆が建立。当初は「法源寺」。その後、岡山城主第3代池田忠継の菩提寺として「龍峰寺」に改称。

 

寛永9年(1632)、鳥取藩より入封した池田光政がこの地に「国清寺」を創建、祖父輝政と父利隆の菩提寺とした。 岡山藩の支藩である鴨方藩・生坂藩の墓所もここにある。
 

忠継・忠雄(鳥取系池田氏の祖)の墓碑は分離し「清泰院」として、鳥取藩の管理下におかれた。「清泰院」は昭和39年(1964)、岡山市南部に移転。

 

 

 

 

(山門)

 

 


国静寺の人気の山門と参道ほっこり もみじ紅葉のスポットとしても人気ですニコニコ

 

 

 

 

 

(鐘楼)

梵鐘は総高120cm径68cmの大きさで、寛文5年(1665)に藤原国次によって製作されたもの。和鐘の類型を踏まず、朝鮮鐘の要素を取り入れたものとのこと。綱政以降の池田家菩提寺「曹源寺」の梵鐘も国次の製作

 

 

 

 

 

 

境内には、立派な五輪塔がパー 

 

白い桔梗かなにやり

 

 

 

 

 

龍の手水に、セミの抜け殻がニコ

 

本堂(大雄宝殿)

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

奥の門を入ると池田家の墓所がありますお願い

 

 

 

赤穂義士に関連した話が伝えられる「観音堂」

 

墓所には、池田一族のお墓が並んでいましたお願い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池田輝政や、利隆のお墓はコチラですパー

   池田輝政が眠る和意谷敦土山 池田家墓所。

 

 

かつて同寺は、約4500坪以上もの広さを有し、多くの伽藍があったが、戦災でほとんどを失った。残ったのは大愚堂(坐禅堂)、山門、鐘撞堂などである。奇跡的にご本尊の南無釈迦牟尼佛と、文殻観音像、阿古無地蔵も戦火を免れた。
その後、戦後の都市計画によって、敷地は大幅に狭められました。
また、観音堂では檀信徒の位牌を祀り、永代供養を行っているほか、忠臣蔵で有名な大石良雄の実母の生家である天城池田家で、大石良雄の切腹後、密かに作られたという文殻観音像も安置されている。