白旗城の御城印 ~山城イレブン~ | かまのん紀行

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この度、ヤフブロの閉鎖の為… こちらに移行して来ました✋

日常の事や、旅行での事、寺社巡りや史跡巡りなど行った所を日記形式で載せます♪

 

5月も終わりの頃上差し インスタのフォロワーさんから、西播磨の山城の御城印を買ったと!他も有る様だ!? 

と聞きキラキラ 早速、調べてみましたスマホ すると!『山城イレブン』という名目で、西播磨の山城130以上在る中から、11城を選びパーそれぞれの御城印を出してるとの事おーっ!

 

《 感状山城(相生市)、龍野古城(たつの市)、城山城(たつの市)、尼子山城(赤穂市)、坂越浦城・茶臼山城(赤穂市)、篠ノ丸城(宍粟市)、長水城(宍粟市)、楯岩城(太子町)、白旗城(上郡町)、利神城(佐用町)、上月城(佐用町) 》

これは、「西播磨山城復活プロジェクト」と言って上差し 簡単に言えば、町興し的な事ですほっこり

 

ここで、食い付くのがビックリマーク自分の様な城好き達ゲラゲラ 御城印も3年ほど前から集める様になりましたにやり 今までは、各地の城跡を只々走る人巡っていましたが!この御城印が発売され、登城した記念として、またお土産として重宝していますニコ音譜 過去に訪れた城も、御城印が発売されてるとビックリマーク御城印欲しさに、もう一度訪れる理由にもなりますからOK

 

と、いう事で思い立ったが吉日パー 行く前に、とりあえずは情報収集にやり とりあえずは、過去に訪れた事のある城の御城印が欲しいうーん 残っているか、各販売所に問い合わせるとビックリマークガーン売り切れ続出・・・おばけくんチーン。  どうやら!凄い人気だったらしいショック 販売されて日も経ってるしな…。

 

と、意気消沈でしたが汗先日、赤穂に訪れてたので上差し 近くの城(過去に訪れたパー白旗城。感状山城。龍野古城) の三箇所に、もう一度問い合わせするとスマホ 何と!再入荷されてるとの事でした笑い泣き

 

白旗城跡OK 

 

白旗城は、足利尊氏と共に建武政権に反旗を翻した赤松円心が、建武三年(1336)、新田義貞の軍勢を迎え討つために築かれました。
「白幡寺」を城とした時、神仏が白旗として現れるという瑞兆があり、八幡・春日両社を勧請したとの伝承がのこることから、笠置城(京都府相楽郡笠置町)や麻耶山城(神戸市灘区)など、当時の山城によくみられる山岳寺院を改修した城郭とも考えられます。
「白旗城合戦」で新田勢を足止めし、九州の足利勢の東上を助けた功により、円心は室町幕府の播磨守護職に任じられます。後に備前・美作などの守護も兼ねた赤松氏発展の基となった武功の城・白旗城は、代々の赤松氏本城として、その盛衰の歴史に登場します。
 赤松円心の三男で、惣領家を継いだ則祐は、白旗城麓の赤松に守護館や五社八幡社を、河野原に宝林寺を営み、その本拠として整備します。跡を継いだ義則・満祐の代、白旗城への白旗降下の瑞兆が伝えられており、それを機に白旗城鎮守の白旗八幡社が山麓に移されたとおもわれます。同社には一切経が収められており、寺院と一体化した神仏習合の社として整備されたようです。
 嘉吉の乱で赤松満祐をはじめとする惣領家が一旦滅びた後も、その再興を目指す赤松則尚がいっとき入城します。後に、惣領家を再興した赤松政則の養子義村が浦上村宗と対立して入城する戦国時代前半までのおよそ180年余り、白旗城は赤松氏、特に惣領家にとって最も重要な地とみられていました。
 赤松惣領家は、その後置塩城(姫路市夢前町)を居城とし、関ヶ原の戦いなどで滅びたといわれていますが、法雲寺・宝林寺や五社・白旗八幡社などの赤松氏ゆかりの寺社は江戸時代ものこり、赤松氏の遠祖・源季房までさかのぼる白旗城伝説が播磨の赤松氏末裔たちによって語り伝えられるなど、白旗城は今なお赤松氏ゆかりの山城として広く知られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、訪れたのがうーん 20年近く前になるかビックリマークしっかりと撮影も兼ねて、もう一度訪れたかったが、この時季の山城アタックは良い事無いので行きませんゲラゲラ その前に、この日は何故か何処に行ってもオオスズメバチハチに行く手を阻まれたアセアセ汗今年は、多いのかなはてなマーク

 

 

 

 

 

 

 

白旗城の御城印は、透かしが入ったお洒落なやつでしたウインク音譜