『大雄山 大賀島寺』から、前回の続です
宇喜多能家の菩提寺『大賀島寺』 能家は、宇喜多直家の祖父で砥石城城主でした
『 宇喜多氏は、この辺りの出身と伝えられています 大賀島寺は、戦国時代には宇喜多氏の庇護を受け、後に宇喜多能家の菩提寺となった
天文3(1534)年、同じ浦上氏家臣の島村豊後守が砥石城を奇襲し能家は自害します。亡骸は大賀島寺に埋葬されました
大賀島寺は、元は少し違う場所に在り火災などで一時荒廃します そして、江戸時代に岡山藩池田家の人力で今の場所に再建され寺領も増えたそうです。
その時に、能家。基家。一族の物とされる五輪塔も移動して来ました
また、八浜合戦で討死した直家の甥の基家の物と伝えられる墓もありますが、どれが誰かは分かりません』
現在の宇喜多氏の墓所 能家や縁者の墓石が並べられています
またすぐ隣の山は、能家が城主をしていた『砥石城跡』が在ります 大雄山から見た砥石城
久しぶりに登城してみました この石碑の後ろから登城 砥石城は、直家の生まれた城
(本丸跡)
以前来た時より!やはり草木が茂っていました 景色も悪い
当時の物かは、分かりませんが古い石垣?石積?も少し残る 新しい方は、後の世に出来た神社の石垣
砥石城を奪い返した直家の時、本丸を石垣で囲っていた様です。その当時の石垣が残っていた様ですが、神社を建てる時に組み直したそうです
もう一つの登城口
昔訪れた砥石城跡の様子など宇喜多直家についても少し纏めてるのでコチラもどうぞ
備前の覇者 宇喜多直家