国宝 松江城 ① ~山陰の名城~ | かまのん紀行

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この度、ヤフブロの閉鎖の為… こちらに移行して来ました✋

日常の事や、旅行での事、寺社巡りや史跡巡りなど行った所を日記形式で載せます♪

 

今回の城攻めは、2015年に国宝指定された松江城ですニコ

 

松江城には、今回で8度目の登城ですウシシ 登城回数では、たぶん3番目に多い城ですにやりと言うのが!2番目が地元の岡山城だと思うのです汗 数年前まで松江城が2番でしたが、近年立て続けに岡山城に行ってて松江城の登城回数を超した気が・・・(笑)
  (1番は、もちろん!ダントツで、姫路城ですニコニコ  20回を超すw)

 

 

さて パー 本題に戻り、登城開始~音譜 大手門に立ってるのが《 堀尾吉晴公 》です。
松江の礎を築き、「松江開府の祖」と呼ばれるニコ 通称を茂助と呼ばれ「仏の茂助」と呼ばれるほど温厚な武将でしたパー しかしながら、戦場では「鬼の茂助」と言われる程の暴れっぷりもにやり 普段は大人しいが、危ない事には血が騒ぐタイプですねウシシ  茂助は、文武両道の智将でしたグッド!

 

天文12年(1543)尾張国の土豪・堀尾泰晴の長男として生まれた。 織田家に仕官をしますが、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の直属の家臣になりますパー なので、秀吉の家臣としては、かなりの古参ですねにやり

 

天正10年(1582年)の備中高松城攻めでは、敵将・清水宗治の検死役を務める。山崎の戦いでは秀吉の命令で堀秀政や中村一氏とともに先手の鉄砲頭として参加。天王山争奪の際に敵将を討ち取るという功績を挙げ、丹波国氷上郡内(黒井城)で6284石となる。
天正11年(1583年)、若狭国高浜において17000石に加増。天正12年(1584年)には20000石に加増された。天正13年(1585年)、佐々成政征伐に従軍。田中吉政・中村一氏・山内一豊・一柳直末らと共に豊臣秀次付の宿老に任命される。
天正18年(1590年)の小田原征伐従軍。秀次の下で山中城攻めに出陣した嫡子・金助が戦傷死している。そして、徳川家康の旧領である遠江国浜松城主120000石に封じられた。
この頃、秀次から独立した立場になったためか、後の秀次事件には連座していない。
 
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では徳川家康に味方します。

関ヶ原合戦の功績により出雲・隠岐24万石の大名として広瀬の月山富田城に入城。 しかし、月山富田城は周囲を山々に囲まれた中世以来の山城で、大砲などを使う近代戦に不利であったこと、また家臣を住まわせる広大な城下町を形成するには土地も狭く、交通も不便でした。そのため宍道湖のほとりの標高28mの亀田山に松江城築城を計画。

 

慶長12年(1607)に着工。5年間にわたる難工事の末、慶長16年(1611)に完成しました。 城郭の広さは
東西360m、南北560mもあり、周囲に幅20~30mの内濠をめぐらしていました。

堀尾吉晴公の墓所は、月山富田城に在ります。

 

 

 

大手木戸門跡には、『国宝 松江城』の碑が出来ていましたニコ 以前、最後に来たのが5年ほど前なので、ブログも始める前の事です。

入って直ぐに在るのが馬溜跡パー  正面に見えるのが二の丸上の段の石垣になりますニコ
立派な高石垣ですほっこり 直ぐ下に、人が居れば比較出来るんだけどね~音譜

 

 

(大手門跡)

 

二の丸上の段に向かいますパー 見えるのは太鼓櫓ニコ 

 

 

 

三の門跡。奥に見える石垣の所が二の門跡パー

 

 

 

三の門跡から見える天守も人気の撮影ポイントですカメラ

 

二の丸上の段に在る『松江神社』ほっこり
 
御祭神はパー
松平直政公(松平初代藩主)
堀尾吉晴公(松江開府の祖)
松平治郷(不昧)公(第七代藩主)
徳川家康公もニコ

 

 

二の丸上の段から天守を見る目音譜

 

鉄砲狭間から茂助を狙う銃(笑)ウシシ

コチラは、矢狭間パー

 

(中櫓)
中櫓は「御具足蔵(おんぐそくぐら)」とも呼ばれた武具庫でしたパー

 

先ほど、外から見た太鼓櫓の中パー

 

(興雲閣)
1903年9月に明治天皇の外出仮御所として建てられました。明治天皇の利用はありませんでしたが、4年後の1907年5月に、皇太子であった大正天皇が、山陰道行啓をした時の宿泊施設として使用されました。その後改修され、迎賓館、展示場、旧海軍施設に利用され、1969年に島根県有形文化財の指定を受け、1973年から松江郷土館として利用され2011年に閉館しました。
松江市は、老朽化が進んだ事から、2013年11月から復元工事を始めましたが、元々白い洋館ではなく淡い緑色と判明し、塗り直し工事を経て、2015年7月から元の淡い緑色の姿に変わっています。

 

 

そして、天守を目指してGO!DASH! 標高が低いので、かなり楽チンです音譜

 

 

一の門を抜けてチケットを購入パー
 
『ど~ん』 目 遠目から見ると小さく感じるけど!意外と大きい天守は、迫力がありますグッド!
以前来た時は、天守の前に植え込みが有ったけど、無くなって少し殺風景になってたにやり

別名「千鳥城」とも呼ばれる城の外壁は大部分が黒塗りの下見板張り。外層5層、内部6階で、城内には松江の街や城の関連資料が展示され、最上階は望楼式になっていて天守の最上部の屋根にあるシャチホコは、木彫りで銅張り、高さは約2mもあり、これは現存しているモノでは最も大きいもの。

ずっしりとしてて武骨な感じがカッコイイグッ

 

松江城では主に2種類の石垣を見学することができます。天守台や城の南面に多く分布する石垣は「打ち込みハギ」で築かれ、石の角や面を割って平たくした石が特徴的です。
城の北側に多く分布するのは「野面積み」と呼ばれる自然の石を加工せず積んだ方法。水の手門跡では、一度石垣を積んだ後に、さらに石を積み加えた痕跡も見られます!

そして、天守の地階にパー 籠城用生活物資の貯蔵倉庫で、中央には、深さ24メートルの井戸があり、北方の池の底とほぼ同底で常時飲料水が得られたニコ

 

そして、今回の目的~パー すったもんだとなったりと!最終的に、国宝指定の決め手となった祈祷札ですが、現在はレプリカを見る事ができますOK この祈祷札は、二の丸に在る松江神社で発見されたのですが、これが、天守の下層にある柱の釘穴と、札の穴がぴったり合った事から確認され築城年数が分かったのでしたグッド!

 

2015年7月8日、松江城天守は城郭建築としては63年ぶりに国宝指定された。国宝に指定されたのは松江城天守1棟と、として祈祷札2枚(慶長16年正月吉祥日)、鎮宅祈祷札4枚、鎮物3点(祈祷札1、槍1、玉石1)であった。構造は、四重五階天守、地下1階付、本瓦葺、南面附櫓一重、本瓦葺である。規模は、平面447.13㎡、延べ面積1,784㎡、高さ22.43m(木造部)で、現存12天守のうち、面積は姫路城大天守に次いで2番目、高さは姫路城天守、松本城天守に次いで3番目の規模を誇る。

 

 

 

天守内は、少し修復中注意 

しかも!展示物が、かなり減っていたのだけど!これは、松江城と関係ない物を撤去し、当時の様子が分かりやすくしてるのかと真顔

姫路城は、展示を減らし当時のシチュエーションを感じられる様にしてたなニコ

 

槍の又兵衛こと!後藤又兵衛の槍と甲冑は、まだ展示していたニコ音譜
以前、又兵衛の菩提寺や、お墓など巡りましたがパー これは、又兵衛の弟が所持し、後に後藤家の親戚の松江藩士、土岐円大夫家に伝わったのだそうなほっこり

 

 

包板(つつみいた)
天守を支える柱には、一面だけ、あるいは二面、三面、四面に板を張って、鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留められているものがある。これは「包板(つつみいた)」と呼ばれ、天守にある総数308本の柱のうち130本に施してあり、割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられている。

天守最上階は、琵琶湖から吹く風が気持ちイイ~ほっこり 嫁ヶ島が見える~目

 

 

 

そして、天守を下りて、北側へあし コチラ側から見る天守は武骨感が増すね~にやり

 

 

 

(乾櫓跡)

 

(北の門跡)

 

 

 

 

 

北の門跡を抜けて水の手門跡へあし 

 

(水の手門跡) この門は、かなり厳重なつくりですにやり
そして、脇にある『ギリギリ井戸跡』 「ギリギリ」というのは、この地方で「つむじ」を意味する言葉です。

 

ココで、松江城の怪談話~パー

水の手門(表鬼門)に当たる場所の石垣が何度組み上げようとしても崩れてしまう。城主である堀尾吉晴は崩れる原因を突き止めようと、崩落が大きい部分を徹底的に調べさせた。すると、崩れた場所の地下から一つのドクロ頭蓋骨が出てきたのである。頭蓋骨には錆びた槍が刺さったままになっていた。原因はコレだと思った吉晴は神主を呼び、3日にわたる祈祷を行った。その甲斐あってか、石垣は崩れることなく松江城は築城に至ったのである。その後、頭蓋骨を掘り出した穴からは澄んだ水がこんこんと湧き出すようになった。この穴は井戸の形に整えられ、城内の貴重な水源の一つとなったそうな。

城内に在る 《城山稲荷神社》

 

そして、ぐる~と廻って二の丸下の段へ戻って来ましたパー

 

この日は、暑かったのであせる水分補給と小休止タバコ観光案内所にて、登城記念朱印をGETしグッド! お次は、堀を巡りますニコ 観光案内所にて、登城記念朱印をGETグッド!ニコ

 

 

 

                                              続く。