※本来の表紙『さうざんでいず』
夢はいつも朝の光とともに
記憶から静かに流れ落ちてゆく
微睡だけを後に残し二度と戻らない
だが枕許に小さなノートを用意しておき
決して逃すまいと毎晩待ち続ければ
極稀にこの世のものとなり得る
私の知る限り他に術はない
ラテン語では Septem=7, Octo=8, Novem=9, Decem=10であること等諸々の点を鑑みるに、
皆して今この時を元旦と呼ぶのが不思議でなりませんけど私だけですよね。あさげです。
一般にめでたいとされている日ですから近況報告はしません。(もちろん、私は元気です)
将棋からは概ね足を洗ったと言っても過言ではないです。チェスが少し強くなりました。
P v.s.NP予想が証明できないことを証明しようとして気付けば一日が経っていたなどの、
不毛で美しい時間も今はめっきり減りました。
最近、アントン・チェーホフの短篇が深い共感をもって読めるようになりつつあります。
…今の仕事に就いて一番良かったことの一つですね。
自分自身も、チェーホフの作品に違和感なく登場できる退屈な人間になりつつあります。
…今の生き様を選んだ以上は仕方のないことですね。
家族が近くにいない、子がいないとは一体どういうことか客観的に学ばされる日々です。
御遺体を前にすれば、こんな風になる前にやれることを全部やっておかねばと思えます。
…そんなこんなで一年前よりは人間らしい感覚が多少身に付きました。退歩でしょうね。
今は全てのことが水面下で進行中のままです。
ここで改めて語るべきことは特にありません。
皆様にとっても実り多き一年となりますよう。
2015年の目標「生きる」は易々達成したので、
2016年はもうちょっとだけハードルを上げて…
「生きる」にします。