作家のきむらけんさんと知り合ったのは12年前
世田谷で開催された「戦争体験を語る会」でのことでした。
きむらけんさんが
浅間温泉の疎開児童と特攻隊を題材にした三部作
その三冊目の著作「忘れられた特攻隊」
この中に私のこと、そして私が提供した彼の写真や遺書が掲載されているんですけれども、
実は執筆の段階できむらけんさんから
「ご遺族に写真と遺書の掲載許可をとってもらえないか」
と連絡があったんですね
ご遺族に手紙を書き趣旨を説明したところ
ほどなく速達で返信が届きました
5枚の便箋に書かれたご遺族の言葉
冒頭、こう書かれていました
結論を申しますと
「そっとしておいて頂きたい」
と云うことになります。
掲載するのはやめてほしい、ということでした。
これまで「特攻」というものに関わってきて、多くの方に手紙を書き、情報を求めてきた中で
こうした反応は決して珍しいことではありません。
「二度と電話も手紙もよこさないでください」
そう言われたことは一度や二度ではありませんでした
戦争を体験された方だけでなく、
誰でもそうですが
思い出したくない過去というものがあります。
触られたくない思い出というものがあります。
正直こればかりは...
私がこれ以上立ち入ることはできない、
と思いました・
続けてこう書いています
貴方もまだお若いので終戦直後の群衆の流れはご存知ないでしょうか
村の物達が家の前に立てていた名誉のしるしのくいを引き抜いてすてに行きました
特攻の美談を許さなかったのでしょうか
遺書にある様な純粋な魂は踏みにじられたのでしょうか
最近百田尚樹さんの「永遠の0」とゆう本が映画化されました
私は戦争のことだと思っておりました
戦争こそが「永遠の0」なんです。
若者の命も羽毛の様にかるいのです。
ご遺族は、ここまで書いたところで一旦筆を止めました
一日考えられたようです
便箋の半ばから、文が再開していました
一日人が来る日だったので休みましたが
すでに結論は変わってきていました
広い目で考えた末、
海に沈んだまゝの十八歳の命
その時代に生まれ合わせた証を現代に残してあげるのが、
意義があるのではないかと思うようになりました。
あの戦争に関心を持つ世代はなくなっています
特に特攻や沖縄の悲惨さを体験した人はわずかで
長々と私見を述べてしまいましたが、貴方が同感してくださるのなら
おくみ取りの上先方様によろしくお伝えください
周囲に差つかえはないと思いますのでお使いください
こうした経緯があって
「忘れられた特攻隊」に
彼の写真と遺書が掲載されることになったんですね
私は
特攻というものに触れる前までは
俗にいう「ネトウヨ」の沼にどっぷりハマっていて
あの戦争というものを「極右」の立場からしかとらえていませんでした
しかし
「極右」の仲間だと思い込んでいた戦友会や多くの軍OBの方々こそが
戦争を否定し、戦場に消えた兵士の名誉を守り、そして民間戦没者を悼んでいることを後に知るわけです。
だから
あの人たちから託された
「絶対に戦争だけはするな」
という思いだけは、皆さんに伝えていきたいんですよ
別の機会のときでしたが、私宛に認めた手紙の中で
ご遺族はこの句を詠みました
はや 歴史となりし特攻の
兄鎮まれる 海の青さよ
兄に捧ぐ
兄ちゃんさよなら 涙
そして
最後にこう結んでいました
私もいつも泣くので
これ以上かけません

