第五章 市ヶ谷(3)
【 十三号扉 】①
何年前だったかの梅雨時...
夕暮れ 雨の靖国
まず東京裁判とはどういうものなのか? というところから始めようと思います。
正式名は極東国際軍事裁判。
そして開かれた法廷が極東国際軍事裁判所です。
本書では「東京裁判」と呼びます。
先にお話ししたように、もうかれこれ80年近く前の話だから、東條の名前や東京裁判について知らない世代が増えてきているのも事実ですし、本だってあるにはありますが今ではそんなに多く出回っているわけでもないですしね。
靖国問題(また後で触れます)とも絡むので、それに関連してメディアで取り上げられることは時々あるけれども、そもそも日本が戦争をしていたんだと実感するのは原爆が投下された8月6日と9日、そして戦没者慰霊祭が行われる15日くらいだから、知らない人が大半になっている現状は仕方のないことだと思います。
では、少し長くなりますが明治維新あたりから紐解いてみましょう。
江戸時代、日本は鎖国といって外国との交流を絶っていました。そんな中、ペリーさんがやってきて開国を迫ったわけですね。
当時アジアのあちこちはことごとく欧米の国々によって植民地にされていました。まあ日本がどこかの国の植民地にならなかったのは幸いでしたけど、不平等条約押し付けられて苦しんだわけです。
舐められちゃいけない、ということで軍事力も蓄えて、産業も発展させて、明治時代の短い期間でそれはそれは大変な努力をして成長して、欧米に物申すことができるレベルまで成長して、日清戦争に勝って、日露戦争に勝って、その勢いでとうとう韓国を日本にしてしまいました。
せめてこのあたりでやめておけばよかったんですが....