第五章 市ヶ谷(1)
【 殉国七士廟 】②
日本週報 第三五九号 1956年 4月5日号
東京裁判のことを知っている人は時代とともにどんどん減ってきているでしょうけれど、「A級戦犯」という言葉は組織の中での責任を問う際に時折使われていますし、A級戦犯死刑囚七人全員の名前は知らなくても東條英機という名前は出てくる、という人は少なからずいらっしゃると思います。
その死刑となったA級戦犯七名を偲ぶ場所の一つが、愛知県西尾市の三ヶ根山にある「殉国七士廟」であり、ここに七名の遺骨が眠っています。
僕の父親はかつて食品製造の商売をしていて、この殉国七士廟の近くにあった観光施設にも食材を納めていた関係で、この山は小さな頃から何度も何度も行った思い出深い場所です。
今は観光施設もほとんど廃業、廃墟と化してしまって当時の面影は全くありませんが、有料道路を使って山頂近くまで行き、案内の看板にしたがって進めば、誰でもすんなり殉国七士廟にたどり着くことができます。
七人の遺骨が存在する経緯ついては第一章で少し触れましたし、ネットでもさまざまなサイトで詳しく書かれているサイトがありますが、改めてここで詳しくお話しさせていただければと思います。
出所は「日本週報 第三五九号 四月五日号」(日本週報社、一九五六年)。
東京裁判で被告弁護人を務めた清瀬一郎、林逸郎、菅原祐、三文字正平の四名による対談『極東裁判の五大秘密』の中で、三文字弁護士がその経緯をこと細かに語っていますので、原文をそのまま引用してご紹介しようと思います。
(次号で原文を掲載します)