次世代への伝言 #117 第五章 市ヶ谷(1) 殉国七士廟① | 少年飛行兵 と 私 第二幕〜Thoughts About Peace

少年飛行兵 と 私 第二幕〜Thoughts About Peace

2014年、突然閉鎖したブログ「少年飛行兵と私」
特攻隊員だった「彼」の遺志を確かめた僕は、「少年飛行兵と私 第2幕」として新たな旅を始めます

第五章 市ヶ谷(1) 

【 殉国七士廟 】①

 

西尾市・三ヶ根山 殉国七士廟

 

 

何が生死を分けるのかはわかりません。

偶然だったのか、運命だったのか、それは神様ですらわからなかったんではないでしょうか。

 

ただ一つだけ言えることがあるとすれば、生き残った特攻兵には大きな心の傷が残り、そして戦争の悲惨さを伝えていくという重荷が背負わされた、ということでしょう。

 

死んだ仲間への想い、生き残ったという自責の念、戦争の悲惨さ、平和の大切さ…  

 

手記を残された方だけでなく、あの時代を生きた旧軍兵士は、少なからずこれらの言葉を語ります。

 

前出の土田昭二さんは「特攻日誌」でこんなエピソードを残しています。

 

戦後、当時の隊員(第三〇三振武隊)が集まった際、整備にあたった当時の曹長は

 

 「自分が特攻機を一機修理して飛行を可能にすることは、結果的には一人の特攻隊員を死に追いやることになる」

 

と心中深く悩み続けました。

 

その結果、あの夜東山隊長に向かって、

 

「自分はなんとしてでも全機飛べるようにします。

その代わりに自分が整備したことによって、死を余儀なくされる特攻隊員の方々と一緒に、突入してお詫びしますと申し上げました。」

 

と…。

 

戦争は、多くの傷を残します。戦った兵士にも、国民にも。

 

ではあの戦争に勝っていればよかったのか? 

いや、仮にそうだったとしても、今よりも良い時代になっていたとは限らないし、何よりも、亡くなった方々は還ってこない。

 

当然、それは誰のせいだったのか、誰のせいで死ななくてはいけなかったのか、という話になります。

 

その国民の憎悪の念を一身に受けたのが東條ですね...