第四章 沖縄の海(3)
【 洗脳と強制 】⑨
椿氏の手記「生と死の間で」
なんと隊長殿に答えるか。頭の中は冷静な思考力を失って混乱し、ただ焦るばかりであった。
(中略)
自分の番が回って来る時間、それは長いというものでもなくまた短いというものでもなかった。
私の本心は「死にたくない」であった。
私も軍人であり、特に飛行機乗りを志願している以上、死を考え、死を覚悟していることは当然だった。
だが私は自殺に似たようなことで死にたくはなかった。
私は戦闘機乗りであるから、敵機と渡り合ってそのために死ぬのは本望である。
これまで敵機と撃ち合うとき命が惜しいと思ったことはなかった。
(中略)
そこで私は内地の「防空戦隊に参りたいと思います」と隊長に言おうとようやく、決心をつけた。
(中略)
やがて私の番がまわってきた。私は立ち上がった。さすがに隊長室に向かう足は重かった。
ノーと、強く決心したつもりだったが心の動揺は隠しようがなかった。
「椿、まいりました」
隊長室にはいった私は、こういうのがせい一ぱいであった。私の視線は、隊長片岡大尉の鷲のように鋭い視線に合うと、思わず射すくめられたようになった。
僅かの沈黙が耐えられなかった私は、
「特攻隊、志願したいと思います」
と言ってしまった。
何ということであろう。私はいままで考えもしなかった言葉が、突然私の口から反射的に出てしまったことに驚いた。
私の言わんとしていた正反対の言葉を、私は言ってしまってから、ハットした。
だがもう万事終わってしまっていたのだ。
(中略)
隊長室を出ると、駄目だ!と、私は深い絶望感に襲われた。
(中略)
耐えきれなくなった私は、そっと隣の戦友に声をかけた。
「どうした貴様は」
きいてみても仕方ないことかもしれないが、きかずにはいられなかった。
「おれか、おれは志願したよ」
彼は吐き捨てるようにそう言った。そのうちに方々で同じような話が始まった。
驚いたことには、一人残らず志願したということがわかった。
私は思わず、ホッとした。
よかった!私一人が志願しなかったら今頃反対に私はどんなに心を苦しめているだろう。
洗脳か、強制か、それとも志願か… そんな単純に捉えることはできないですね。
こうして特攻作戦は始まっていくわけです。