第四章 沖縄の海(1)
【 武尅隊の足跡 】①
東條邸跡
彼が何度も通った場所...
さてここからは本題、というか、前作の続き、そして前作で書ききれなかったこと、伝えきれなかったことを記します。
「次世代への伝言」を…。
「沖縄・米軍上陸点付近の敵艦船を体当り必砕すべし」
この命令によって彼は1945年4月3日15時40分、宮崎県・新田原飛行場から出撃、18時20分、沖縄・読谷村の比謝川河口付近の敵戦艦に突入しました。
わずか18歳、彼はその短い人生を全力で駆け抜けました。
*彼は大正15年(1926年)4月10日、東京・世田谷の三軒茶屋で生まれ、まもなく現在の福岡県田川郡川崎町に移り、川崎小学校、旧制田川中学校(現在の田川高校)に進みます。
妹の英子さんからは「父親の仕事の関係で引っ越した」とお聞きしましたが、彼が住んでいたところは母親の実家があったところから車で十分ほどのところですから、もともとなじみある土地だったのでしょう。
母親の実家は当時の安眞木村で、東條の妻・カツと同郷でした。その縁で三軒茶屋にいた頃から東條家には家族ぐるみで出入りしていたようです。
三軒茶屋から用賀の東條家までは現在だと車で十分もかからない場所ですから、その縁と関係があるのかもしれません。
彼と東條との関係はすでに彼が幼少の時から始まっていたんですね。
英子さんも終戦前後カツ夫人のお手伝いさんとして東條家で働いていました。
東條がピストルで自殺を図った際も
離れからその様子を見ていたとお聞きしています...