第三章 そして、ミンスク(1)
【ミンスク再訪】③
晴れの郷土訪問飛行
人文字を作って先輩の来訪を待っている...
戦争の時代だったから...
なにもかもをそう片付けることはできます
でもこういうお話をすると戦前は何もかも悪だったのかという話になってしまうんですけれども、それは後の章で触れる「特攻は志願だったのか強制だったのか」という議論と同じで、白黒つけることではないと思うんですね。
戦争が否定すべきものであることは疑いないですが、そのためにはあの時代を振り返って事実を見つめ直すことが一番大切なんじゃないかと思います。
当時の世情がどんなものだったかがよくわかる出来事があるんですよ。
昭和17年(1942年)10月20日、航空記念日にあたるこの日、陸軍は全国七ヶ所の飛行学校から少年飛行兵約1,000名をそれぞれの出身地へ
「郷土訪問飛行」
として飛び立たせました。
少年飛行兵が故郷の自宅や出身学校の上空を飛んで両親や恩師、後輩にその晴れ姿を見せるんですね。
ちょうど彼が東航 東京陸軍少年飛行兵学校に入校した10日後のことです。
小飛会が監修した写真集「あゝ少年飛行兵」(大盛堂書店、1970年)の中にそのときの写真と新聞記事が掲載されています。
上空から見えるように屋根の上には大きな日の丸の旗が何枚も敷かれ、家族親戚、そしてご近所の人たちでしょうか、たくさんの人たちが日の丸を片手に上空を見上げています。
両親が屋根の上で祖父の遺影を抱き、我が子の飛来を待っている写真、そして生徒が総出で人文字を作って、先輩卒業生が飛んでくるのを待つ小学校の写真もあります。
名誉なことだったんですよ。
家族にとっても、出身校にとっても、地域にとってもね。