次世代への伝言 #44 第二章 世田谷へ(2) 代沢小学校⑥ | 少年飛行兵 と 私 第二幕〜Thoughts About Peace

少年飛行兵 と 私 第二幕〜Thoughts About Peace

2014年、突然閉鎖したブログ「少年飛行兵と私」
特攻隊員だった「彼」の遺志を確かめた僕は、「少年飛行兵と私 第2幕」として新たな旅を始めます

第二章 世田谷へ(2)

【代沢小学校】⑥

 

武尅隊・今西隊員が疎開児童・立川裕子さんに贈ったもの

きむらけんさんとの会合でご本人が持参された

この黄色い布に描かれた写真の書について

きむらけんさんのブログに紹介されていますので

こちらにシェアさせていただきます

 

 

 

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実は世田谷観音で行われるこの慰霊祭は

「公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会」

が主催していて、僕は彼のことを調べるためにこの顕彰会を訪ねたことがきっかけで案内をいただくようになったんですけれども、参加・不参加を通知するハガキには住所氏名のほか隊員との関係を記載する欄があるんです。

 

隊員ご本人であれば所属した部隊名を、ご遺族であれば亡くなられた隊員名と所属部隊名、隊員との関係を書きます。

僕の場合は本人でも遺族でもないので「有志」です。

 

それをもとにして当日は式次第・参列者名簿が配布されますが、一宮さんの話によると、幸子さんは隊員名の欄にかの今野少尉の名前を書いた上に、関係を「恋人」と書いたんだそうで、それが島田少尉の妹さんの逆鱗に触れた、ということでした。

 

実際慰霊祭で島田少尉の妹さんにお会いしてご挨拶だけはさせていただき幸子さんの名前を出すことはもちろんありませんでしたが、その後島田少尉の妹さんと電話でお話しした際、具体的ではなかったもののおそらくそのことであろう内容を話されたと記憶しています。

 

幸子さんにとって武尅隊の隊員たちと過ごした短い日々の記憶、そして今野少尉の残像は永遠に消えることがなかったんでしょうね。

 

二十歳前後の特攻兵と小学生、その間に純粋な恋など芽生えるんだろうかと考える方もおられるでしょうが、何十年という時を経ても彼女にとって思い出はそこに止まったままだったんですね。

 

あの昭和の時代から平成、そしてまもなく令和へ変わろうとする2019年4月5日、幸子さんは享年85歳でこの世を去りました。

 

心からご冥福をお祈りいたします。