第二章 世田谷へ(1)
【世田谷公園】⑨
疎開児童が疎開していた浅間温泉
温泉街のはずれにある御射神社
疎開児童たちもここに参拝したと聞いた
戦争と子供たち
〜世田谷区の学童疎開
そしてあとがきには次のように書かれ、この本の最後を締めくくっています(一部抜粋)。
「学童集団疎開」とは何だったのでしょうか。集団疎開の対象となった世田谷区内の小学校は、34校を数えます。
学童疎開を体験した子どもたちの幼い精神と肉体に刻まれた傷跡は、いまなお忘れがたい記憶として残っているようです。
戦争の悲劇を二度と繰り返さないよう、後世に語り継ぐためここに記録を残すことにいたしました。
風化させちゃいけないことがたくさんあります。
こうして本に残るものはその中のわずかなものでしかありません。
ロシアとウクライナの紛争が続いていて、平和という言葉の意味が改めて問われているいま、人から人へ、古い世代から新しい世代へ、伝え続けることへの大切さを忘れてはいけないと感じました。
そして、僕は再び記録を残そうとパソコンに向かうことを決めたんです。