第二章 世田谷へ(1)
【世田谷公園】⑧
疎開児童が滞在していた浅間温泉・目之湯
当時のままの姿で営業を続けている
「戦争と子供たち」〜世田谷区の学童疎開〜
この巻頭の挨拶で、当時の大場啓二・世田谷区長は発刊にあたっての思いを次のように述べています(一部抜粋します)。
第二次世界大戦が激化する中、昭和17年4月以降終戦まで、日本本土への空襲が行われ、各地に被害を及ぼしました。
世田谷区においてもその影響を免れず、多くの人々が疎開し、不自由な生活を強いられました。
中でも、子どもたちの多くが集団で各地に疎開し、共同生活を送ることになりました。
多感な子どもたちをこのように、親元から遠く離れ、見知らぬ土地で過ごさなければならなかったという事実が、戦争の愚かさ。悲惨さを物語っていると思います。
今から半世紀近く前に行われたこの学童疎開とは何だったのかを振り返ることにより、平和の大切さ、尊さが確認できるのではないでしょうか。
僕の言いたいことが
そのまま記されています...