沖縄(7)
シムクガマ入口
ガマの中に佇む「救命洞窟之碑」
翌朝、僕はシムクガマとチビチリガマ、二つのガマを目指した。
上陸した米軍から身を守るため読谷村の住民が避難した場所だ。
沖縄で集団自決といえばすぐひめゆりの塔の名が挙がるし、観光客もそれを目指して沖縄南部に向かう。
でもチビチリガマとシムクガマは読谷村というマイナーな地域に加えて、その事件の凄惨さから観光客がツアーで訪れるにふさわしい場所ではない。
特にチビチリガマは未だに遺品や遺骨が残って遺族会が立ち入りを禁止しているし、入口付近も写真は撮ってはいけない。沖縄の戦跡でも一、二を争う悲しみの場所だ。
先に向かったのはシムクガマだった。途中、「象の檻」と呼ばれたあの有名な楚辺通信所跡地を通る。
象の檻・楚辺通信所跡地
シムクガマのおおよその位置は読谷村のサイトにある案内地図でわかるけれど、道があるのかどうかわからない。
その場から読谷村役場に電話をして聞いても
「そのあたりを歩けば見つかります。」
としか説明してくれない。
とてもそんな探し方で見つかるはずもないから畑で農作業をしていた男性に声をかけた。
「あそこに行くんかね… わしが案内してあげるよ。」
と、鍬をその場所に放り出したままにして先導してくれた。
訪れる人も稀なのかもしれないな…。
シムクガマに向かう道
ところどころ「ハブ注意」の看板に出会う
小さな川の水が流れ込んでいる場所に足をとられ、ハブ注意の看板に目をやり、生い茂った木を払い除けながら進んでやっと入り口にたどり着いた。お礼を言うと、男性はこう返した。
「ビーチ整備してリゾート開発に力入れるばかりでな…。観光客は沖縄のそんなところしか見ないよ。
もっともっと伝えていかなきゃ、見てもらわなきゃいけない場所がいっぱいあるのに。
でも役場がそんな対応するとはな…。看板の一つも出さずにこの場所がわかるわけがない。」
たしかにそのとおりだった。ビーチと国際通り目当ての観光客にとってこの島が戦場であったことなど関係ない。
できれば負の遺産である戦跡はひっそりと隠しておきたい。
戦跡でメシは食えない。
沖縄問題が沖縄だけの問題としてしか語られないのはこのせいだ...