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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

長岡京を歩く1はこちら

 

長岡京駅(JR)→神足神社→長岡天満宮→寂照院(海印寺)→走田神社→乙訓寺→角宮神社→向日神社→大歳神社→八幡神社(長峰八幡宮)→正法寺→大原野神社→樫本神社→月読神社→松尾大社→松尾大社駅(阪急)(太字が今回のところ)

 

走田神社を後にして、次は乙訓寺に向かいました。今回、長岡京を歩こうと思ったのには、いろいろ理由があるのですが、その一つが乙訓寺で特別拝観が行われていることでした。十一面観音と毘沙門天の特別拝観です。ご本尊は令和12年公開とかでした。明治まで秘仏で、その後も1回だけなんですよね、公開されたの。

 

乙訓寺は、長岡京の中心だっただろうと思っていました。私は忘れていたんですが、早良親王が蟄居させられたり、唐から早くに帰って来た空海が京都に入るのを待たされ、最澄と邂逅を果たしたり、歴史的に重要な場面で登場するんですよね。でも、中世以降は衰退しています。前回(といっても先月ですが)、下鴨神社やその周辺を歩いたときに偶々たどり着いた崇導神社が、まさに崇道天皇=早良親王とも深いご縁があったので、選んだときはそのことも少し頭にありました。

 

特別拝観は、1000円だったんですが、仏像を拝観するという意味では少し高いなと感じるかもしれません。でも、かなり詳細なパンフレットが作られていて、これで仏像の修復作業の状態などが丁寧に書かれています。このパンフレットの価値、それから文化保存事業という意味では、妥当な額だと思います。そのすべてを理解した上で、単に美術品鑑賞ではなく、信仰の一環として、目の前に立つときっと素晴らしいです。

 

 

 

境内社の八幡社。ここのご本尊は空海と八幡大菩薩の合体像で、八幡社が鎮守社になっています。

 

 

 

 

 

本堂の左奥に祠があり、何やら不動明王などの仏様のなかにマリア観音が混ざっていました。お寺の方(といっても、地域の方だと思いますが)に聞いても祠を見たことがなかったので、分からないとおっしゃいます。私はガラシャ夫人に引き合わされたなと思いました。今はそんなに裕福なお寺ではないと思いますが、それでも、長岡京における霊的な、中核的役割を担わされている場所ではあると思います。

 

 

早良親王の供養塔。これを見るまですっかり早良親王のことを忘れてました。ごめん!まあ、でも、前回のときに、私の中では早良親王から重要なことは伝えられていると思っているので、別に気にされていないと思います。

 

角宮神社も向日神社に行く前に寄るかというくらいの軽い気持ちで立ち寄ったのですが、すごく大事な神社でした。下鴨神社が玉依姫(母)、上賀茂神社が賀茂別雷大神(子)、そして、この角宮神社に火雷大神(父)が祀られていて、古代にはこの三社が尊重されて来たとのこと。ただ、中世の承久の乱のときに、荒廃してしまい、その後、室町時代に再建されたといいます。ここに立ったときには、小さい神社ながらに、御神気がすごく明らかに歓迎されているなというのが分かりました。崇導神社に行ったときには、まさに下鴨神社からスタートしたわけで、見事に下鴨神社・上賀茂神社の伏線回収となりました。

 

 

拝殿の右側の公園につながる入り口はご神木が鳥居の役割を果たしていました。

 

 

 

 

 

 

 

角宮神社を出て、歩いて行きますが、明らかに前方の鎮守の森がパワーを放っていました。

 

 

向日神社の鳥居

 

桜が咲いている1週間か2週間前はさぞ美しかったことでしょう。これは近代に作られたそうです。でも境内のところで、桜の木の寿命は50年くらいで、古木が枯れてしまったのを残念そうに話しているお年寄りがいらっしゃいました。

 

勝山稲荷神社

 

天満宮社

 

天満宮社の後ろに歩いて行くと、何やらさらに祠が。


ここが元稲荷社で、勝山稲荷社の元宮ですね。

 

元稲荷の後ろにはさらに古墳になっています。

 

 

 

御霊神社。

 

本殿後ろから。

 

 

 

本殿の後方に、役行者と不動明王を祀った祠があります。白雲龍王、白玉弁財天女、勝山身代不動明王、神変大菩薩が祀られています。でも、これは比較的新しくて、祀られたのが江戸時代で、今のものは昭和に建てられています。

 

 

 

 

 

増井神社。火雷大神の荒魂を祀る。地元の方がここをきれいにしてらして、ちょうどロウソクをお供えするところだったので、拝殿の写真はないです。

 

向日神社関連の話をまとめると、元は上社・向神社と下社・乙訓坐火雷神社で別々の神社でした。火雷神社の宮司が承久の乱のときに後鳥羽上皇についたため、一時別の場所で謹慎させられているうちに、荒廃してしまい、復興できないまま、向神社と合併、向日神社となりました(企業の合併みたいですね)。日が入るようになったのは火から採ったものという説もありますが、同時に向日神とも合わせたんだと思います。室町時代になって、火雷神社の復興を願う人たちが独立した角宮神社を建てたということのようです(角宮神社はさらに引っ越しをしています)。角宮神社に初めて行ったときに、ここは乙訓寺の鎮守だなと感じたので、その意味では、乙訓坐(おとくににいます)の名称は納得がいくものでした。元宮に同じ神様を再興させるのは珍しくないですしね。しかし、玉依姫一家の近い場所で、いずれも早良親王が祀られているのもとても縁の深さを感じます。

 

そのまま大歳神社に向かいます。途中の川に白鷺がいたので、写真を撮ってみました。

 

 

途中で入ったお寿司屋さん。地元の人しか来ないお店で、歩いてくる他の地域の人などいなさそうなのに「ここはお寿司屋さんですか?」と聞いて、不審がられました。書いてないんですよ、外に。でも、昔ながらの、わさびとシャリの酢飯のお酢が効いている御寿司で、懐かしいというかよかったですね。お店の名前は竹生さんでした。

 

 

 

 

 

大歳神社。すっかり鎮守の森は消失してしまいました。京都府の指導らしくて、森の再生事業の一環らしいです。駐車場にして、再生事業もないだろう、と思うのですが。

 

長岡天満宮の旧本殿を利用しています。

 

 

 

 

 

石作神社がどこかのタイミングで合祀されたようです。

 

 

 

大歳神社の大歳神の御子である向日神が向日山に留まったことで、向神社が開始されたと言われているそうです。この大歳神社は、長岡天神とも向日神社とも深い関係があったんですね。ここも伊勢神宮の古材を使っているようです。村の神社のようにしか見えないのですが、ここまで繋がりがあったんだと気づかされました。

 

もう少し旅は続きます。

 

 

 

長岡京を歩きました。

 

長岡京駅(JR)→神足神社→長岡天満宮→寂照院(海印寺)→走田神社→乙訓寺→角宮神社→向日神社→大歳神社→八幡神社(長峰八幡宮)→正法寺→大原野神社→樫本神社→月読神社→松尾大社→松尾大社駅(阪急)。


今回はさらっとGoogleで調べたんですが、たまたま長岡天満宮が兼務神社の一覧を載せていたので、これも参考にしました。結果的には二つ以外は全部、行ったんですね。というのは、一瞬見ても忘れてしまうので。本来は全工程を歩くようなルートでもないのですが、バスや交通機関もほぼないので、歩くしかなかったんです。さすがに全部一気に書くのは長すぎるので、4回に分けて、書きたいと思います。

 

最初は神足神社。近くの勝竜寺城の土塁になっていました。そして、このお城、細川ガラシャ夫人がお輿入れしたところらしく、この地域はめちゃくちゃガラシャ推しでした笑

 

 

神足神社自体は、一見、村の神社のようで、鎮守の森もそんなに木が多いわけではないんですが、すごいパワーでした。私が拝殿に向かって身滌大祓を唱えていると、背後に、というか、上も含めてもなので、周りにたくさんの存在を感じました。どちらかというと、人系の幽霊や神様というよりは動物的な感じ、自然霊というのかな、そんな雰囲気でした。実際、白鷺も何羽も木の上にやって来ていました。自分でも分からないことを人に言葉で伝えるのは難しいと思いながら書いていますが、強いて言うならば、一緒に並んで聴いてるみたいな感じです。これが朝一番だったからなのか、この土地の力なのかはよく分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

去り難い気持ちのまま、長岡天満宮を目指して、西国街道を歩いて行くと、こんな看板がありました。後で調べると、昔は長岡京駅の名前が神足だったんですね。実際地名は多く残っていて、地域の人の愛着を想像させるモニュメントでした。

 

 

長尾天満宮の鳥居にたどり着きました。

 

 

 

 

池にお社と来れば、神社仏閣に慣れてる人は十中八九、弁天様と思いますよね?ところが、ここは必ずしもそれだけではなかったのです。

 

白太夫社・和泉殿社。この横に長岡大明神社殿旧址と書いてあるのですが、私はこれを旧社殿がここにあったのかと勘違いしてしまいました(そして、仲良い人にそう話してしまった。今度修正しないと)。長岡大明神については、素晴らしい記事がありました(二つ続きです。12)ので、ここに紹介しておきますね。というか、この人のホームページとYouTube、2000年代前後の個人ホームページの雰囲気を残したまま進化していて、めっちゃ好き。

 

 

拝殿

 

 手水、桜の花びらが美しかったので。

 

 稲荷社

 

長岡天満宮は菅原道真の家臣でもあり、親戚でもあった中小路宗則が創建、そして、中小路家が宮司を務めて守って来たんですね。私は、天満宮というのは、単に道真の怨霊を鎮めるということではなく、壮大なスピリチュアルな計画・意図があってこんなにも広まっていると考えています。写真に撮らなかったんですが、中小路宗則翁千年祭記念碑を見たとき、菅原道真から何かを託されたな、というのは直観的に分かりました。

 

滝川幸司さんの『菅原道真』を読むと、晩年の道真は野心どころか何度も引退したいと天皇に奏上していて、ギラギラ出世競争をしていたイメージとは程遠いんですよね。太宰府も、大阪も、長岡も、京都も、それぞれ今なお重要な役割を果たしているなと思います。何らかの方法で、やはり日本を護っている、ということだと思います。そして、この長岡の地は、完全に中小路一族に委ねられた、そんな感じです。ただ、歩いてるときは、怨霊信仰の話はすっかり忘れてました。頭で考えず、感じるのが大事だったのでしょう。

 

走田神社に向かってその手前に寂照院(海印寺)がありました。この写真を見ていただくと、一目瞭然だと思いますが、この両者は一体です。ただ、現在はおそらく防犯上の理由で、お寺から神社へ抜ける道は施錠されているので、通り抜けることは出来ません。別々にお詣りする必要があります。

 

 

 

 

 

 

 この急な階段を小さなお姉ちゃんと弟君、それから、お父さんとお母さんで登っていました。行きは追い越すときに、こんにちはと声掛けをしたんですが、子どもたちはじっと見るばかり。私も屈まなかったのが悪いんですが。帰りに、バイバイって言うと、二人は手を振ってバイバイしてくれて、さらに最後にはお姉ちゃんは両手でバイバイしてくれました。私もお返しに両手でバイバイしました。何十年ぶりだろう笑。

 

住んでいるマンションでも子どもたちに挨拶するときも、おはよう、こんにちは、はうまく返せなくても、バイバイは手を振るという動作があるから、結構返ってくるんですよね。おそらく、中にはおはようとかこんにちはを言えるからこそ、お父さんやお母さんが促すときもあるんですが、照れくさかったりでもじもじして言えないんだと思います。だからこそ、バイバイと言うことはその子たちの小さな名誉回復にもなるし、何より本当は挨拶したかった子どもたちの思いの行き場になるんですよね。だから、子どもたちに声をかけるときは、バイバイまでセットでやっていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御神木に見えました。

 

走田神社は、看板によると、式内社で、元は寂照院(海印寺)の鎮守で「妙見社」と呼ばれていたが、明治以降、この正式に今の名前になったそうです。そして、春日四神を祀っているのですが、同じ祭神の小倉神社の御輿が江戸時代まではここまで来ていたそうです。私、水無瀬・山崎を歩いた日の下調べをしていたとき、山の裏側にあった小倉神社はいつか行かなければと思ったんですが、ここで繋がるとは。妙見信仰は北極星ですね。お寺と神社と一体でここの山が天に繋がる場所だったというのはよく分かります。本当はここを深掘りするには長法稲荷神社にも行くべきだったのは分かってたんですが、後の道程を考えるとここで予期せぬ山登るのは嫌だなと思って、スキップしてしまいました。

 

寂照院(海印寺)は日本孟宗竹発祥の地らしく、近年、古道として竹林を整備してるようなので、その様子を。私も今回、初めて知ったんですが、要は食べられるたけのこを鎌倉時代に日本に最初に輸入された地ということらしいです。ありがたすぎる笑。

 

 

 

竹林を抜けて、乙訓寺に向かいました。

椿大神社と小岸大神社を後にして、敢國神社を目指しました。伊賀一之宮です。

 

夕方、それも17時少し前だったので、本来は神社をお参りするような時間ではなかったのですが、なかなかここまでくる機会もそうないだろうと思い、参拝させていただきました。

 

なんというか、一言でいうと、力のある神様でした。大彦命、金山比咩命、少彦名命が祀られています。出雲の空気を感じると同時に、国の中心を背負うというか、実はあまり今までそういうことを感じたことはなかったのですが、皇族というか、正統なる王族の畏怖、という感じを受けました。ここにお会いしに来るだけでよかったのだと思います。出雲口伝でもこの大彦命と敢國神社は出てきていたのですが、実はすっかり直前まで忘れていました(神社の名前がたくさん出てくるので覚えきれないのです)。とはいえ、王族の畏怖(威圧?威厳?)は感じたのですが、同時に、鎮護国家的な雰囲気などはあまり感じなかったですね。大彦命が仏教伝来以前の王だったからでしょうか。土地や国を守るというより、玉座にどんと座っている、そんな印象でした。ひょっとすると、時間帯のような気もします。夕方のオフの時間にご自宅を訪問してしまった感じかもしれないです。

 

他の神社と比べると、たとえば私の中では素戔嗚尊や大国主命は、国常立尊の魂の系譜で神代につながっているんですが、大彦命は人から神様になった元王族という印象でした。強いて言えば、私が訪れた中では、五色塚古墳で会った古代の王の印象に近いですが、大彦命の方が王族という自負は強い印象でしたね。五色塚古墳の主は、王であることに興味はないけど、自分の運命だからやるべきときはやるか、という感じですが(人間としては個人的にこちらの方が共感できます)、大彦命は強烈に王であり、王族(エリート)としての誇りをもっているという感じですね。ここは個性、性格の違いかな。神代との繋がり云々は単に時代が新しいからなのか、その辺はよく分かりません。

 

私が今回お参りした意味は、出雲繋がりということだと思うのですが、確定的にこういうことだったということは分かりませんでした。必要があって、足を運ばされた神社であるというのは実感としてありましたし、短いながらも、なぜか手応えがあったお詣りになりました。言葉にするのが難しいのですが、外さず、必要なところは押さえたという感じです。私自身は詳細はよく分かりませんが、私とともにある方たちは後ろで交流されたように思います。

 

両部鳥居です。

 

ここは表参道にある市杵島姫社です。

 

拝殿

 

本殿

 

拝殿から鳥居を見る。左側が南宮山らしいです。このときは事前情報は知らず、桜がきれいだなと思って撮影しました。

 

境内から裏参道に行くと、境内社が並びます。

 

小観社。

 

楠社

 

むすび社

 

神明社

 

大石社

 

 

 

大石社だけは別格、ここは地主神を祀っているんだろうなと思いました。