出張で広島へ。私は今忙しいので、当日で良いじゃんと思いながら、みんな楽しみにしてるなら、良いか。
朝6時前に比治山神社にお詣りし、多聞院を経て平和大通りを一路、広島平和記念公園へ。比治山神社もこの時間なのに参拝客が途切れないんです。驚きました。途中も色々あったんですが、とにかく一番驚いたのは、嵐の中の母子像。マリア様の気が満ちています。え、なんでと思ったら、作者の本郷新さんが西洋のマリア像とは別の表現を探したとネットで読んで、ああこれはマリア様からのインスピレーションを受けたんだなと納得しました。キリスト教のご家庭出身でもあるんですね。
私は広島とちゃんと向き合って来なかったんですが、今回はいよいよ供養の御神事かなと思っていました。ちょっと大変そうだなと思ってました。もちろん、そういう供養的な面もあったかもしれませんが、原爆で亡くなった人よりも、その後生きて来た広島の方の思い、悔しさの消化という方が大きいのかもしれません。しかし、そんなことはほんの些細なことでした。
昔、沖縄でひめゆりの生き残りの方のお話を聞いたとき、この思いを繋いで行くのは無理だ思いました。そして、当時の私には、軽々しく見えた、同級生の平和への誓いにブチ切れしました。普段、怒らない私がそんなことで怒ったので、クラスメートは驚いてました。今となっては私が間違えてました。
広島の人たちも、もちろん、戦争経験者はどんどん亡くなるので、もう戦争を経験してない世代の方が圧倒的に多い。でも、だからこそ、悲しみや悔しさは薄れ、しかし、残ったのは平和への祈りだった、そんなふうに思いました。それにしても30年以上前のことだけど忘れたことはなかったですね。
長い目で見ると、きっと戦争と関係なく80年前に亡くなった人もいたでしょう。でも、多くの人は忘れ去られて行く。私は10代の頃、支えてくれた祖父のことを思い出すことは、亡くなって25年間、ほとんどなかったです(これを書きながら少しだけ、ごめんとは思ってる)。80年前に亡くなった人に広島の、日本の、世界の誰かが、心を寄せる。それって、原爆と離れても、すごいことだなと思いました。
原爆ドームを遠くに見ながら、ここは平和への祈りの聖地だと思わずにはいられませんでした。それは、原爆が落とされたことがきっかけかもしれません。でも、たしかにここに生きて祈りを繋いできた人々がいたこと、そして、今もなおいることを、小学生の千羽鶴から、慰霊碑の周りの広場を丁寧に掃除するおばさまたちから、感じざるを得なかったのです。
もし10代の頃の私に話しかけることが出来るなら、人は平和を祈り続けることができることや、人が人を思うという愛について、真っ直ぐと伝えたいなと今は思います。








