先週、長田を歩きました。長田神社は神功皇后の創始なので歴史的で、瀬戸内海に多い、港的なものと、山の遥拝を同時に行う場所だったと思います(その写真はないです笑)。山は神撫山、今は高取山と呼びますが、残念ながらマンションのせいで、神社からは直接遥拝できません。
御祭神の事代主もそうですが、出雲の影響の強い神社でした。ここは事代主様の名前がメチャクチャ長いんですよね。「あめにことしろ そらにことしろ たまくしいりひこ いつのことしろぬしのかみ」です。神社の説明によると「およそ天地の間、天上界地上界、又宇宙間すべての物事を照覧し給い、あらゆる物事を知り、守り、教え、諭し、導き給う神」ということなんですが、ここまで事代主様に役割を与えられているのは珍しい気もします。
あとは楠宮稲荷もなかなかパワーがありました。境内では遥拝所という場所が暗いというか,そんな感じだったので、身滌大祓を唱えました。
遥拝所。方角的には伊勢とかの方のやつです。これは身滌大祓を終えた後です。
長田神社を後にしていたら高取山に向かいます。高取大明神の入り口から普通は右の参道を歩くと思うのですが、私は滝のある左に行きました。正直にいうと、そんなに滝に惹かれたわけではなく、なんとなく、というのと、参道は帰り歩くからという理由付けをしましたが、結果的には大正解でした。滝は自然の滝ではなく、行場で、人工的に作られたものでした。
その上で掃除をしているおじいさんとの出会いがありました。いつもは朝6時から11時くらいまで掃除をしているが、今日は自治会の仕事があって午後になってしまったとのこと。毎朝2人の85のおばあさんが登られてるそうで、彼女たちが続ける限りは、続けようと思っているそうです。そして、少し上まで一緒に来てくれて、自分だけの特別な眺望できる場所を教えていただきました。頂上からの景色も素晴らしいんですが、途中なので町がよく見えるんですね。そして、ここは後ろが岩になっていて、もともと磐座にしてたんじゃないかなと思いました。私は磐座、中継機説なので、ここも大事だなと感じました。この道は人があまり通ってない感じなので、正直登り始めは藪漕ぎもあるなと覚悟したのに、なぜか歩きやすいなと思ってはいたんです。実際頂上まで結構人に会いましたが、みなさん参道を通っていて、私がこちらですれ違ったのは1人でした。なんなら掃除だけじゃなくて、崩落したところを歩きやすく直しているとおっしゃってましたからね。こういう人知れず神様の御使いをされてる方がいらっしゃるんですね。感動しました。
教えていただいた場所から。写真だと分かりづらい😆
高取神社は天空の神社という感じがします。景色も最高です。特に奥宮に登っていく階段は、天に上がっていくようです。拝殿の横にいくつかの祠のような摂社がありますが、ここがもともとはおそらく磐座ですね。御祭神は武甕槌、奥宮の少し上に元宮のような春日神社がありますが、ということは、中臣系なので、これは後代だと思います。配祀神の豊受大神は、後に行基が祀ったそうなので、明確にあとの時代ですね。本殿は取り忘れた。。。
奥宮では、お母さんが嫌がる小さい男の子の写真を一生懸命撮ろうとしていて、一緒に撮りますか?と聞いて、撮ろうとしますが、男の子がこっちを向いてくれません(笑)。少し間をおいてから、名前を聞いて、呼んでみると、嫌々ながら、ちょっとだけこっちを向いてくれたので、そこでパシャ。これ以上はお母さんも気を遣われるだろうなと思いました。ここの山頂の碑は木に囲われて、眺望は良くないのですが、そこで交互に写真を撮っているカップルに声を掛けて一枚、さらにこっちの方が景色が良いから、こっちで撮りましょうともう一枚。奥宮のところまで下りてきたところで、私はさっきの掃除をしているおじさんからもらった紙(2024年に亡くなった登山家の人たちと作ったA4、2枚のガイド)を読んでいると、うしろから二人がお礼を言ってくれました。そして、そここそはさっきよりも景色が良いベストスポット。「ここでも撮りましょう」と言って、おせっかいにももう1枚。
江戸時代からおそらく昭和の頃までは、参道も賑わっていたんでしょう。たくさんの祠がありました。これもこの山の特徴の一つだと思います。いろんな信仰を持った人たちが、ここにもそれを持ち込んでいるという感じですね。石切さんもあるのは珍しい。ただ、参道の祠は全体的に寂れています。茶店も3軒も残っていますが、ずっと続けられるかどうかは後継者問題とかもあって、微妙じゃないかなと思いました。摂社や参道で、少し本来の力を失っているなと感じたのは玉依姫でした。祈りは捧げましたが、意識をどこに合わせればよいか、あまり分からなかったです。
正面に見えているのが奥宮。
ここも何か暗かったので、身滌大祓を唱えました。この写真も唱えた後ですね。
山頂の広場に猿田彦と出雲大神天穂日命と書いてあります。逆に言うと、ここ以外はあまり出雲系の神様を見なかった気がします。歴史上、ずっと権力的にここが重要であったので、後の権力による塗り替えもあったということでしょう。
ここは、さっき書いた玉依姫を祀っている社。
Googleでもあるんですが、妙見宮は鳥居だけでなかったですね。
妙見宮の鳥居を登った先に合ったのは、この三劔御神とお稲荷さん。長田なので、阪神淡路大震災の際に崩れたのかもしれませんね。
豊春神社。現在は施設の老朽化に伴って危険があり、高取神社に戻っていただくように考えられているようです。
高取山を後にして、神戸水天宮にやってきました。ここはすごかったですね。本殿は天御中主神で、摂社に事代主(長田社)と大物主(白長社)、それから歴代宮司の祖霊を祀った社が三社あります。白長社は、もとは長田小学校のところがため池でそのほとりに大神神社から勧請した祠があったそうで、それを埋め立てるときにこちらにお遷りしていただいたそうです。
白長社の後ろの木の上のところにものすごい御神気が現れました。驚きつつ、眺めていました。それをきっかけに宮司さんとお話ししました。長田地区に事代主が最初に降臨されたのがここだったらしく、それを大正時代にここに水天宮を勧請したようです。この話自体はWikipediaにも書いてあるんですが、なぜわざわざ水天宮を勧請したんだろう。先ほど調べて分かったように、長田神社の事代主様は、実在した出雲王国8代少名彦八重波津身ではなく、もっと前の時代の神様という気がします。ここの祝詞は地元の地域の次に、もっと広い範囲の人たちについても呼び掛けるようです。ちなみに、そのことを説明してくれるときに宮司さんがそのセリフを普通に口にされただけで、その威力がすごかったです。それから、私がしていたブレスレットと腕輪も浄化していただきました(ありがとうございます)。
長田社。
左が白長社。
動画だと表現しきれないですが、御神気のいったんでもお伝えできれば。
巫女体験で中学生たちが作ってくれたそうです。素敵、過ぎません?







































