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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

出雲に行って、その記録も一応、書き切ったので、これは熊野に行く準備が出来たなと思いました。もう少し時間を置いたらと思ったんですが、今日を逃すと、もうチャンスがなくなりそうだったので、ここはと思って、行きました。

 

熊野本宮大社は158段とか書いてあるので、どんなに長い階段なのかと思ったら、すぐ着きました。あれ具体的な数字にされてると、なんかすごい感じがしますよね。

 

さて、祓戸大神で禊いでもらった後に、素戔嗚尊様と向き合います。私が居た時だけほぼ人がいなくなりました。今日はなぜかご祈祷をしてもらおうと思いました。いろんな例が書いてあって、見る前は心願成就かなと思いましたが、並んでる中に「天壌無窮」がありました。その横にこの4文字にだけ特別に、日本がいつまでも栄えますようにと書いてありました、日本と言わず世界と言って欲しいところでしたが、日本は世界の雛形でもあるので、日本を通じて世界が輝く、そんなふうに考えることにしました。

 

ご祈祷というのは、人のためにやってもらったことはあっても、自分の意思で自分の名前でやってもらったのは、ひょっとすると、2回目かもしれません。だから、申し込む前に、メチャクチャ躊躇しました。誰かの病気平癒とかなら、すぐ迷わず出来るのにな。まあ、ウダウダやらない言い訳を探して時点で間違えてることは分かるので、すぐに観念して申し込みました。

 

略式の祓詞で軽く払っていただいた後に、大祓詞を唱えてくださったのですが、途中から太鼓を叩きながらで、そのリズム、強弱は勇壮でありながら、やはり祓いとしか表現できないものでした。ご祈祷は、私が心から願って発願したものを聞いてください,という形式ですが、日本を繁栄させる祈りがもう素晴らしかった。これを聞きながら、日本以外の他の国についても、同じように祈れるかと言えば、それは難しいだろうと思いました。そこは信仰の重ねて来た言霊というものもあるからです。むしろ、そこから外れたものを無理に付け足そうとすれば、かえってその純粋さを失ってしまうことでしょう。

 

ご祈祷が終わって産田社、大斎原に参拝に行きました。産田社のときも誰もいなくて、一瞬お酒を忘れて去ろうとしたんですが、戻って少しだけお酒を奉納しました。大斎原は芝を刈っていたので、あまり探索は集中できなかったのですが、中四社下四社の石祠にはお参りできました。そして、最後に河原で身滌大祓と般若心経を唱えて、少しだけお酒を奉納しました。

 

一路、那智を目指します。最初は熊野についての知識がまったくないので、上に車を停めて、滝を見に行けば良いかと思ってました。というか、那智の滝を御神体とする飛瀧神社が、社殿を持たないことから、滝だけだと思ったんですが、那智大社も青岸渡寺もあるではないですか!恥。地図を見ていると、あれ、もう少し下から参道だぞ。大門坂が気になりました。あ、ここから行かなければ、ということで、予定は変更で大門坂の駐車場に停めて上まで歩いていこうと前日に決めました。

 

大門坂からの熊野古道は、驚くほどのパワースポットでした。那智の滝を除けば、ここが一番でしょう。というか、これだけ山の参道を歩く私がこんなに写真を残すのは珍しいのです。それだけこの短距離の間に、グッとエネルギーが集中してました。観光客団体がちょうど半分くらいのところで車道と隣接する場所にバスを待たせていたのですが、ここまででも十二分にエネルギーを感じられると思います。

 

 

 

 

 

 

ここの前で中国人の女の子二人組に声を掛け、2人の写真を撮りました。

 

 

 

 

 

 

 

表参道をのぼって、那智大社の鳥居と青岸渡寺の山門前まで来ました。一応、分かれているんですが、一応という感じですね。ただ、正直、那智大社と青岸渡寺の境内では、神様や仏様というより、人との出会いが印象に残っています。まあ、私は本堂で仏様に九十度くらい頭を下げていたら、おばさんにメチャクチャ驚かれて、見られましたが(笑)。

 

ここまでに既に一組、声をかけているんですが、私はお節介にもよく自分から声をかけて、グループ(カップルだったり、家族だったり、友達同士だったり)の写真を撮る手伝いをすることがあります。この日は、ここから二組でした。

 

一組目は、三重塔の前で、日本人のおじいさんとそれより少し若い中国人女性の夫婦でした。ちなみに、私は外国人でも全部、日本語で話しかけています。変なこだわりがあるとかではなく気は心で、まあ、大体意図は通じるので、何語で話しても別にいいんですよ。でも、このときは男性は分かったけど、女性は言葉が通じませんでした。高年齢男性が中国人女性と結婚するケースは結構あって、男性は少し恥ずかしそうな素振りを見せて、私ともほぼ話しませんでした。この後、裏参道の入り口と出口(ここで私が追い抜いたので)、飛瀧神社の参道で、この二人を見かけたのですが、仲睦まじいなあと感じました。三重塔から飛瀧神社の鳥居の前に降りてくる裏参道は、自然石を使った参道なんですが、ちょうど伏し拝みの下から結構、急になります。そこで年配の女性と男性の日本人ご夫婦なんですが、男性は先に行って待っていて、女性はもう座りながら、足を出して怖々降りています。杖を貸すか、手伝おうか、一瞬迷いましたが、スルーしてしまいました。私もスルーしたので、偉そうには言えないなと思いながら書いていますが、そこは一緒に降りてあげなよと思ったわけで、その先に先ほどのご夫婦が寄り添うように休んでいたんですね。寄り添う形が本当にハートマークのオーラが出ている感じでした。

 

二組目は、那智の大滝の前だったんですが、若い家族、ご夫婦と赤ちゃんで、赤ちゃんを抱えながらお母さんがなんとか三人で自撮りで取ろうと、試行錯誤してます。これはもう誰が見ても、別の人がシャッターを押してあげたら、なんてことはないので。家族一緒にちゃんと写真を残したいですよね。

 

那智大社の鳥居

 

青岸渡寺の山門

 

那智大社の鳥居。まぶしすぎて、何も見えなかったんですが、iPhoneを信じて撮ってみました。すごっ。

 

那智大社拝殿。

 

御縣彦社。八咫烏をまつる摂社。

 

 

 

樟霊社、大楠胎内くぐり ここでも「天壌無窮」を祈願しました

 

青岸渡寺

 

拝殿の階段下にあったんですが、これ、なんですかね。

 

如法堂(大黒天)。ここは上までみなさん登ってこないけれども、もったいないですよ。あ、もっともったいないのは、青岸渡寺の寺務所の横にある長命水。たぶん、那智の瀧を水源としているんですが、誰も振り返らないんですよね。。。

 

行者堂。ここもみなさん、上がってこないけれども。。。

 

三重塔と那智の大滝

 

伏し拝み

 

 

 

驚くことに飛瀧神社の鳥居前に立ったころから雨がポツリポツリ。さすがに驚きましたよ!

 

 

 

 

 

この後、大門坂駐車場に戻る頃にはまあまあ雨が降っていました。びっくりです。本当は時間的に速玉神社にも寄れるなと思ったのですが、新宮に着いたら、まあ降っています。それでも行くだけ行ってみるかと思って、本宮方面への道を曲がらず、速玉神社の方に向かったら、その瞬間から土砂降りも土砂降り。さすがに、傘も持っていなかったので、右折右折で戻りました。これは神様からの「帰りなさい」のサインでしたね(まったく正しいアドバイス!)。この日、橋本でレンタカーを借りて、往復300キロほぼ山道だったので、体力的には限界に近かったし、時間的にも速玉神社に行っていたらかなりギリギリでした。レンタカー屋のおじさんには驚かれました(笑)。
 
ちなみに、一日経って、今日は起き上がれないくらい疲弊していました。やはりご神事というか、巡礼は体力も霊力もとにかくエネルギーを使うんだなと実感しました。熊野はサーっと観光で回るというのでなければ、1泊2日とか2泊3日くらいでゆっくり回った方が良いと思います(というか、普通の人はそうしますよね💦)。

 

 

いよいよラストです。

 

熊野大社の次は神魂神社に向かいました。

 

本当は拝殿・本殿を正面から撮影したかったんですが、ここを近づいての撮影が禁止されていました。当然と言えば、当然ですよね。この日は扉も開いて、なかにも祭壇(神籬みたいなもの)が見える形になっていました。私の印象では、摂社のなかにある神籬が気になりました。というのも、立石神社や須我神社奥宮の磐座を見てきたからというのも大きいと思います。

 

出雲口伝によると、神魂神社は古く東王家の邸宅であり、物部氏によって出雲王国が滅亡させられ、占拠された後も同じように宮殿としていたそうですが、物部が没落したので王家に返そうとしたところ、それを拒否されたので、神社として残すことになったそうです。出雲国造の引継ぎのご神事が現在まで引き継がれているそうです。

 

個人的には、ここに来る必要はあまりなかったかもしれません。たしかに拝殿が開いており、それはいつもそうなのか分からないのですが、そこはあまり他にない御神気で満ちてはいました。ですが、これは広く誰にでも開かれているというよりは、出雲の地にある縁ある人々のもの、という感触でした。そういう意味では、呼ばれなかったら、次は特に行かなくてもいいかもしれないなという感触でした。

 

二の鳥居。この隣に駐車場があり、そちらに直接来たので、一の鳥居の前には立たなかったのですが、後で車から見たところ、両部鳥居だったような気がします。

 

手水舎。これは素晴らしいですね。

 

神籬。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神魂神社から意宇六社を巡ろうと考えていたんですが、時間と体力と総合的に考えて、次の八重垣神社で終わりにすることにしました。八重垣神社は縁結びで有名なんですかね、結構、人がたくさんいました。観光スポット的にもなっているようです。ただ、御神気の強いとても良い神社でした。

 

八重垣神社は、良縁といっても、彼氏彼女というだけでなく、もっと深く家族の縁をつむぐ、そんな温かさを感じました。正直、「縁」を売りにする(という言い方は失礼で申し訳ないのですが)神社仏閣というのは一番多いし、多くの人もそれを求めているので、結果的にそうなるのは分かります。ここは別格と感じました。とはいえ、ひょっとすると、この出雲巡礼で私の感度が高まっていた可能性もあり、そうであるとすると、他のところも改めて行ったら、そう感じるかもしれません。

 

本殿の御祭神は、素戔嗚尊と稲田姫命の夫婦神。そして、二人を囲むように、稲田姫の両親である脚摩乳(父)・手摩乳(母)を祀る摂社があるわけですね。ここでは、他のどの地域の素戔嗚尊でも感じない円やかな、そういう気でした。これは稲田姫のエネルギーでしょうね。

 

隋神門

 

出雲以外ではあまり見ない狛犬

 

 

 

拝殿

 

伊勢宮・脚摩乳神社

 

本殿

 

手摩乳神社、貴布禰神社

 

拝殿ではご祈祷されていて、あまりにも美しい音色だったので、雰囲気だけでも。

 

山神神社

 

夫婦椿が三か所あります。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと歩いたところに鏡の池があり、その奥が天鏡神社です。稲田姫が祀られています。女神様の気を感じました。鏡の池は水占いが有名で、みなさん、楽しそうにやっているんですが、その池の手前にあるところ、これこそが「八重垣」ですね。大杉跡となっていましたが、ここが私は一番、御神気というか、エネルギーを感じました。驚くほどです。

 

 

天鏡神社

 

 

 

八重垣を池側から撮りました。若い男の子たちが占いのお話ししてますw

 

 

 

正面から大杉跡

 

出雲巡礼の記録はとりあえず早めに書いておかないと忘れてしまうので、さっと書いておきました。また、いろんな考察はゆっくりしていくと思います。

 

今回の出雲巡礼の旅にはいくつかの伏線があったんですが、その一つがこの須我神社でした。教え子がここの神社、特に奥宮の磐座をすごく推していて、いつか行ってくださいと1年半くらい言われていたんです。この夏も行くよと私が言っていたので、その意味で約束を果たせたなと思っています。

 

「日本初之宮」というのは、何をもってというところがあるのですが、つまり神籬や磐座をもってすると、出雲王国よりも古い起源をもつ超古代のものはいくつもあるでしょう。ただ、狭い出雲王国ということに限定すると、現代の日本につながる国としては一番説得力があるので、この出雲で初之宮であれば、大神神社とかよりも古い可能性はあるかもしれませんね。

 

須我神社、地域の人で運営しているとは聞いていたのですが、とにかくすごいなと思ったのが授与所です。ここのラインナップは素晴らしかった。小さい村の神社のレベルではなかったです。正直、全部の神社で丁寧に見たわけではないのですが、大きい神社やお寺でもそこまで魅力的なものを置いているところは少ないです。でも、須我神社はすごかったですね。ホームページでは悪切りの「御霊剣(ごほうけん)」だけが紹介されているのですが、これ以外にもブレスレットとか、三氣のお守りとか、ちょっとした地域のお土産の食べ物とかもあり、お茶も用意されてました。「御霊剣(ごほうけん)」と三氣のお守りは秘法でご祈祷されているんですよね。あと、個人的には神社本庁のものなんですが、簡単な神拝詞が置いてあるのもポイント高いです(大きいところは独自のものが合ったりするんですが、なかなか置いてないです)。

 

 

 

 

 

 

 

 

海潮神社

 

神籬っぽい荒神社

 

 

 

須我神社の隣には元の別当院であった普賢院がありました。このような形で神社の近くで生き残っているというのはすごいな、と思ったら、境内に雲照和上墓碑がありました。今、調べてみると、明治日本を代表する三人のうちの一人とか、そういうレベルのお坊さんで真言宗の中でも、そして明治仏教界にも多大なる貢献した人で、そんな人が住職をしてたら、さすがに守れるよね、と驚きました。そして、この雲照和上が最初に得度した寺こそ一つ前のエントリで出てきた、智伊神社の元神宮寺、多聞院だったのです。びっくり!雲照和上のことはよく知らなかったのですが、本堂に般若心経が貼ってあるので、般若心経を唱えました。

 

ここから下の写真は普賢院境内。

 

 

 

ガラス越しに見える白い紙が般若心経。そして、お賽銭箱の下にも筆で描いた般若心経がありました。ご真言を書いてあるお寺はよくありますが、ここまで般若心経を推すのも珍しいですね。

 

そして、奥宮に向かいました。奥宮までの山道が細い。。。でも、停めるところはわりとあります。そして、写真を撮り忘れてたんですが、禊をする場所があって、湧水のご神水をいただけます。奥宮の磐座、というか、もうとにかく背後の八雲山全体が御神域なので、エネルギーが半端ないですね。このことは次の熊野大社でも触れましょう。

 

須我神社奥宮へ

 

須我神社奥宮

 

 

 

 

 

 

 

こちらの手前はハイキングコースっぽくなってますね。

 

 

 

杖がありがたい。

 

須我神社奥宮からメチャクチャ草に覆われている山道を通って、熊野大社へ。出雲一之宮と言われていますが、とにかくすごいエネルギーでした。私は八雲山の方からすごい力を感じましたが、もともとは川の対岸の方の熊野山に磐座があり、元宮、明治まであった上社があって、そちらが素戔嗚が降臨したところと伝えられています。今の大社は下社と言われていたそうです。

 

熊野大社は、授与所で『熊野の大神たち』や『熊野大社誌』という小さい冊子を1000円で売っています(内容的には1500円くらいが妥当かなと余計なお世話ながら思いました)。二冊とも帰って来て読んだのですが、学者の先生が丁寧に分かりやすく書いていて、良い読み物でした。こういうのをちゃんと作るのは神社の活動として本当に立派だと思います。年表も明治以降詳しくて、そこも個人的には好印象でした。ただ、戦国時代に焼けたり、洪水で古い資料がないんですよね。

 

上社、下社というのは、大阪の石切さんもそうですし、一つ前のエントリの比布智神社の山中の旧鎮座地と現鎮座地(ないし江戸の遷座前の地)もそうですが、山だけだと不便なので、里にも社を作るというのは珍しくありません。だから、熊野大社もそうなのかなと思っていました。でも、実際に行った印象だと、熊野大社上社は熊野山を、下社は八雲山を遥拝していたのではないかと感じました。

 

二冊の本の中にも上社からの伝統が書いてあって、下社は鎌倉時代くらいにできるので、割と新しいから、そこは分かるんです。出雲口伝では、熊野山の頂上の磐座は富家(東王家)の「埋め墓」であったと書かれています。今回はとてもじゃないけど、登る時間がないので、熊野山はスルーしました。ただ、そのもっと遡ったところでは、もともと天孫降臨の地であったというのは本当かもしれないなという気がしています。八雲山の方は、素戔嗚尊と稲田比売の暮らしたところであったのでしょう。そう考えると、須佐大社のあるところは治めた場所で、特に義実家が管理していたと考えると、そんなに不思議ではないです。あとは最後を迎えた後に行ったのが日御碕の隠ヶ丘と考えると、全部、矛盾はしません。出雲大社の後ろの八雲山だけは今回はまだちゃんと向き合えていません。