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外宮(茜社・豊川茜稲荷神社、山末神社、度会大国玉比賣神社、伊我理神社・井中神社、風宮、多賀宮、下御井神社、土宮、本宮、度会国御神社、大津神社)→月夜見宮(月夜見宮、古殿地、高河原神社)→二見興玉神社(天岩戸神社、本殿、夫婦岩、龍宮社)→堅田神社→朝熊神社→ 鏡宮神社→ 千躰地蔵堂→ 金剛證寺(八大龍王社、奥之院、明星堂、本堂、開山堂、仁王門、矢負地蔵尊、雨玉堂、朝熊稲荷大明神、望海院、孝源院)→内宮(饗土橋姫神社、津長神社、大水神社、瀧祭神、風日祈宮、本宮、荒祭宮、子安神社、大山祇神社)
外宮からは伊勢市に着いたのは電車が出発する数分前でした。雨が少し降り始めていました。二見浦駅から歩いて行くと、徐々に雨が降ってきました。
ここの塩羊羹、最高でした。実は、18日(金)にセッションを受ける人になぜかこの羊羹を持っていく必要があるらしく、帰りに改めて買い直しました。
天宇受売命。すごく印象的でした。
夫婦岩。台風で破壊されたと聞いていましたが、ちゃんと直されていました。ここに鳥居の上にカラスが止まっていたのは象徴的だと思います。調べ直すと、ここら辺の座礁全体が磐座のような扱いで、この奥に見えなくなっている興玉神石が本当の御神体のようです。そして、今でも5月21日に「藻刈神事」が行われているようです。その位置関係でいうと、この夫婦岩の注連縄は元は鳥居のような結界を表していたのではないかと思います。
とはいえ、実は私はこちらの後ろの方に力を感じました。何というか、出雲の日御碕神社と隠ヶ丘の関係に近い印象でした。日御碕神社にもかつての海底神殿があり、後方の森には素戔嗚の霊跡である隠ヶ丘も控えています。そして、アマテラスと素戔嗚の両方を祀っているんですよね。二見興玉神社も何か隠されている感じはあります。
天気予報だと二見興玉神社を歩いている時間帯は雨があがっているはずであり、逆に外宮を歩いているときは雨が上がっていないはずの時間帯だったんですね。実際は、二見浦駅を出たときはまだ雨が降っていなかったのに、参道を歩いているときにはまあまあ降っていました。でも、二見興玉神社が禊の場である以上、雨が降ったのは必然だなと感じていました。
二見興玉神社を後にして、朝熊神社に向かったのですが、途中の堅田神社に寄りました。全然、下調べしていないんですが、倭姫命が塩を祀ったこと、御祭神は地元の神様ということは分かりました。人は一人もいませんでしたが、パワーはありました。ちなみに、この堅田神社を出てからは、朝熊山の上の方に行くまで雨には降られず、天気は回復していきました。
朝熊神社に至る手前。
朝熊神社・朝熊御前神社
朝熊神社と朝熊御前神社が並んでいます。
朝熊神社・朝熊御前神社の領域は、本当にご神域という感じでした。一応、江戸時代の伊勢参りが盛んになっていった頃から、正式な参拝ルートは「二見興玉神社→外宮→内宮→朝熊山(金剛證寺)」でした。朝熊山を登るルートは、宇治岳道と呼ばれるものがメインで、今の朝熊岳道は近代以降にメインになったと言われています。たしかに、そういう側面もあったと思うのですが、私はもっと昔は朝熊岳道の方がメインであったのではないかと思います。というか、そう思ったから、二見興玉神社→朝熊神社→鏡宮神社→朝熊山を選んだんですけどね。
朝熊神社側の側から見た鏡宮神社
鏡宮神社へ向かう橋。
鏡宮神社
遠く朝熊山を臨みます。もうすぐ朝熊駅の横を通過する手前です。
千躰地蔵堂。これは知る人ぞ知るですね。300年前には遡れそうです。ここはいわゆる道祖神的なイメージのお地蔵さんという感覚ではなく、中央は大日如来にも重なり、すべてのお地蔵さんは眷属であり、これ自体が曼荼羅みたいな、そんな印象でした。
朝熊岳道は、そんなに道はきつくもないんですが、なにせ私は2時間くらいしか寝ていないし、もう朝から外宮まわりを1時間半近く歩き、二見浦駅から二見興玉神社に向かい、そこをスタートして朝熊神社・鏡宮神社を経由して歩いてきていますからね。もう登り始める前から、冷静に考えると、まあまあやばいわけです。途中、飲み物もあまり持っていませんでした。
朝熊岳道は、途中から本当にヘロヘロで歩いていました。当初、宇治岳道を歩いて帰るつもりでしたが、実は朝熊駅の近くにお帰りはバスでみたいな広告があって、それが頭の隅には残っていました。半分くらい行ったところでは、なかなか進みがたくなっていたので、これは帰りはあきらめようと決断、バスの時間を調べるとまだ2時間以上あるので、ゆっくり行っても大丈夫だなと判断しました。このあたりから道はガスって来ていて、御神気が立ち込めるという感じでした。雨は少しだけ降っていましたが、森の中ではほぼ濡れなかったです。
朝熊山頂上付近。
八大龍王社入り口
奥之院入り口
帰りに気になったのは二人の尼僧のお墓でした。清順、周養の二人です。二人とも慶光院という尼寺の住持で、三代目、四代目でした。前者は外宮の、後者は内宮の式年遷宮を復活させた大功績を持っています。
明星王子を祀る明星堂。
本堂。本尊は虚空蔵菩薩。
開山堂。開祖暁台上人、開山空海、中興開山仏地禅師を祀る。
明星天子
雨宝童子
雨宝童子を祀る雨宝堂。
金仏。ここで知った寂照寺もそのうち行きたいです。
私が金剛證寺について偶々、最近、この動画を見たんですね。私は必ずしも大江さんの意見を全部、信じているわけではないのですが、もともと伊勢神宮と関わりが深かったお寺には何れ行かなきゃと思っていたので、その時の候補の第一が金剛證寺であり、第二候補が庫蔵寺(もともとは金剛證寺の奥之院として設立されたと言われています)です。ここは今年のうちに行きたいですね。
虚空蔵菩薩が豊受大神で、明星天子が瀬織津姫、雨宝童子が天照大神(の16歳像)という大江説は正直、私にはまだピンと来ていません。ただ、私が境内を歩いた中で圧倒的だったのが雨宝童子です。そして、特に寺院という感じでもなく、半分は神社という印象を受けました。現在の奥之院は、有名な背の高い卒塔婆が立ち並ぶところなので、やはり寺院という感じがします。明星堂と雨宝堂は、寺院という感じではなく、どちらかというと、神社的でしたね。このような神仏のすみ分け方は他ではちょっと見たことがないものでした。
今回の金剛證寺では、尼僧と慶光院、そして、そこからの桂昌院つながりが驚きました。というかですね、金剛證寺のパンフレットというか、半分寺宝図録みたいな冊子を購入したのですが、その紋が葵の御紋だったのです。それで徳川家とのつながりを改めて知りました。
私は実は桃山時代から江戸時代にかけて、異なる別々の人からこんな前世だったよと言われたことがあります。さすがに、私も全部を信じているわけではありませんが、面白いので書いておきましょうか。
1つ目は豊臣秀頼で、これはさすがに??というところもあるのですが、よく考えてみると、昔、師匠に生國魂神社の中にある鴫野神社に通いなさいと言われ、それが淀姫を慰めるミッションでもあったので、感じるものがないわけではない、という感じです。
2つ目はもう少し前になるのかな。私は根来寺で秀吉軍に侵攻を受けたときのことを夢に見たことがあります。ちなみに、このときは根来寺という名前を知らなかったのですが、あとで調べて、根来寺が実在したことに驚きました。
3つ目は、徳川初期に大奥を統括する役職(調べると留守居かな)についた武将で、その話を教えられたセッション中には、家康公からお礼を言われました。
4つ目は、ツアコンのようなことをやる聖で、伊勢神宮に所属していたと言われ、私があちこちの神社・仏閣を回っているのは、このときに助けてくれていた高位の精霊(龍でも神でもないみたい)が協力してくれているらしい。私としては、勧進をやっていた感覚はあります。
同じ人間が同時代に並行して存在している、というのは、私はあり得ると思っています。3つ目と4つ目は繋がっていそうですね。これが両方、正しかったら、私は組織的には上の方と下の方で同時に実在し、伊勢神宮の勧進プロジェクトにかかわっていたような感じですね。そこで、慶光院や桂昌院と繋がっていたのかもしれません。
ちなみに、今日(9月18日)は実は観音様の日で、あらかじめ護国寺に行く予定だったのですが、護国寺こそ桂昌院が建てた寺院でした。こんなに関わりが深いとはとわりと驚いています。


































