今回はさすがに無茶しました。前日、全く寝ていなかったにもかかわらず、朝が来てしまい、なぜか高野山に行こうという気持ちになったので、行ってきました。その状態なので、いつもの7割くらいしか写真の枚数は撮ってないのに、ここに選んだ枚数はいつもの倍近いという体たらくです。これはシンプルに今集中力を欠いてるからです。でも、行く前にふと、この状態なら頭を使わない状態になれるんじゃないかと思っちゃったんです。結果的には、いつもより質が低下してるだけで、使ってました。まだまだ限界には遠かったようです。
極楽橋から歩こうということで、女人堂に向かって歩いて行きました。不動坂は新旧二つあります。行きは旧道、帰りは新道を歩きました。旧道は実は明治に入って使われなくなっていたものを、大正時代に再び整備したものです。歩いた時間の違いかもしれませんが、旧道の方がエネルギーに満ちてる信仰の道という感じがしました。これはもともとそのように長い間使われていたこともありますが、改めて再整備したときにも、そのような意図で、つまり便利さのためではなく、信仰の継承という意味で行ったからでしょう。
誰一人降りないここからスタートです。
極楽橋。昔は手前の橋もあったのでしょうが、流されてしまったのかもしれません。
全体的には山の中の修行の道という感じが色濃く残っていました。私は光明真言、観音様と如意輪観音の御真言、南無大師遍照金剛を繰り返し唱えながら歩いて行きました。念頭にあったのは、真名井御前と空海のパートナーシップで、如意輪観音と南無大師遍照金剛で中和的にエネルギーを調えたのと、もう一つは石清水八幡宮に行った日に観音様の優しいエネルギーに触れた時の体験で、不動明王的な厳しさから観音様へという意識はありました。私は不動明王とも縁が深いのですが、お不動さんや蔵王権現的なものの力を借りるのはあくまで臨時的な、緊急対応であって欲しいとも思います。お不動さんは大日如来の変化した姿でもありますもんね。特に外不動(今の清不動が立っていた場所です)の前と兒滝の前では、般若心経と光明真言を唱えました。そんなこんなでゆっくり登っていたので、女人堂まで1時間半くらいかかってしまった。そりゃそうだよね。
真名井御前の如意輪観音を参拝した時の話。
観音様に導かれた旅。
清不動堂。
不動堂の横からもう少しだけ旧道があります。
ここから高野山がスタート。
小杉明神。小杉は杉の名前ではなく、空海に救われた越後の女性の名前だそうです。
女人堂。
実は女人堂に到着する前に、ふと真名井御前と瀬織津姫が同じ、そして、弁天様も同じ、というインスピレーションが降りてきました。
女人堂のなかは、中央にご本尊の大日如来、横に役行者と弁天様が祀られています。弁天様のお守りが気になったので、最初はスルーしようと思ったのですが、戻って求めました。実は、女人堂の手前のところから、弁天岳に登っていく道があるのですが、この日はさすがに体力的な不安もあり、当初はやめておこうかなと思いました。ですが、お守りを授与していただいたところで、この弁天様は弁天岳の弁天様と関係がありますか?と伺ったところ、関係あります、とのこと。あ、これ、行かなきゃ行けないやつだ、となりました。
大門前から登っても、女人堂から登っても1キロ近く登りですね。どちらが楽とも言えない(笑)。ただ、この道を歩きながら、特に谷上女人堂跡のところまで来て、気が付いたこともありました。それは、女人堂の配置が、観心寺の星塚巡りと似ていることです。つまり、女人道は高野山を守る結界だったのではないか、ということです。本当はそれを確かめるために歩きたかったのですが、さすがにこの距離を歩くのは厳しいだろうということで、この日は断念しました。女人道については、山上の聖地・高野山を取り囲む峰々と巡礼の道で、詳細に紹介されていますので、良かったらそちらもご覧ください。
嶽弁天社。
大門の前まで下りてくると、清不動尊と、嶽辨才天、三宝荒神を遥拝する祭壇が設けられていますね。
大門。弁天岳に行くとき、これは正面から来いという意味もあるんだな、と感じました。
お助け地蔵
女人道を一周するのは諦めましたが、せめてお助け地蔵までは行ってみようと訪ねてみました。ここは107歳の女性が講の中心にいらっしゃるようで、とにかくエネルギーが強かったですし、信仰の場という感じがしました。
大門を出て一番近くの、商売だけの少ないお店で冷やし中華と胡麻豆腐を食べました。あまり食べると、この日の体力的に具合悪くなるな、と思ったので腹八分です。
祓川弁財天。
ここは私の中では高野山の祓戸社的な位置付けですね。
湯屋谷辨財天社。
遍照尊院。外からお詣りさせていただきました。
霊宝館。
結論から言うと、高野山は霊宝館に極まると思います。重要な仏様が集結していますし、YouTubeにも解説がアップされています。快慶の木造深沙大将立像と木造執金剛神立像(こちらは弟子の重慶)は、東京に出張中ですが、それでも孔雀明王の像や四天王像は見事です。その他にも大日如来、如意輪観音、毘沙門天、阿弥陀如来など、どれも素晴らしいです。
中門。
善女龍王社。意外と新しく、でも、パワーはありました。
金堂
御社の拝殿前。
御社。工事中。ご挨拶はしましたが、ゆっくり出来ません。
西塔。
手前、御影堂と根本大塔。
東塔。
金剛峯寺。
金剛三昧院の入り口。
国宝の多宝塔。
四所明神社。丹生明神、高野明神、気比明神、丹生御息の四神を祀ります。ただ、集中力を欠いててなんだかよく分かってなかった。
本坊。
楽しみにしていた愛染さんは暗くてよく見えませんでした泣。あえてそうしてるんでしょうね。
金剛三昧院を出て、お香屋さんは覗こうと歩いて行きました。その途中で出会ったのが苅萱堂。前の時はこの前のバス停で待っていたんですが、入る気力がなくて入らなかったんです。今回、ふと気になって入ってみたんだけど、ご本尊だけ拝んで授与品を見に行こうとしたら、お坊さんがそっちじゃない、こっちからお詣りして、順番に回るんだと教えてくださった。最後、御朱印帳を持っていたら、書いてくださる雰囲気だったので、惜しい。そして、ここでは女人禁制の悲劇で、父親を捜しに来た母子のうち、母親だけが残って麓に残っていたら、その間に亡くなってしまった、ということらしい。女人禁制について学ぶことにはなりました。でも、改めて考えてみると、今回はそうした悲劇の歴史も踏まえながら、女人堂や女人道に新たな意味を発見することが大きな課題だった気がしています。
苅萱堂
尾先弁財天社。この隣に飛田新地の女性たちの慰霊碑もひっそりとありました。
徳川家霊台。
家康公。
秀忠公。
徳川家霊台の道路を隔てた向かいにあった鬼子母神を祀る祠。
実は、私は徳川家霊台の存在を知りませんでした。前に来たときは場所を見ただけでこれは行けないと思ったのでよく覚えてなかったんです。しかし、この日は女人堂で徳川家の御朱印があったので、あ、これは今日は徳川だと気が付きました。
ここ拝観料が200円なんですが、お賽銭入れる方式なんです。この日、一日ほぼ100円玉をたくさん持っていたんですが、気が付けばここに来たら、一枚もなく500円玉だけでした。最初から気持ちよく入れれば良かったんですが、なんか納得がいかないので、どうしようか迷ってたんです。もちろん、払わないという選択肢はないんですが、崩しにいくのも遠いし、どうしようと悩んで先にお詣りしました。途中でやっぱり500円を入れようと思ってポケットに入れて別にして置いたら、戻って来たときに、なくなっていました。あ、これは私が気付かずにそのまま帰ったとしても受け取った、ということなんだろうなとも思いましたが、ちゃんと箱に入れたいなと思い、もう一度探したら、果たして荷物を整理していたところに落ちていました。書いててなんでこんなことに悩んでたのか不明です。
私的にはこの日は、金堂と金剛峯寺は行かなくて良かったなという感覚でした。それならお金もそうですけど、奥之院に行けば良かったと思ったんです。そういう小さな後悔もあったのかもしれません。
こんな雑念だらけだったので、ラストは集中できてなかったです。こんなことをわざわざ書かなくてもいいよなと私も思いますが、リアルを残しておきたいので、書いときます。
徳川家霊台を改めて調べてみると、興味深いことが分かりました。
この記事によると、金剛三昧院も鎌倉時代には同じような機能を果たしていたり、徳川が仏教の力を削ぐような、そういう政策をやったりと、なるほど、それでかーということがよく分かって来ました。ある意味、形骸化政策ですよね。神仏分離令はそう考えると、その仕上げ的な意味もあったんですね。































































