東寺で開催されている草場一壽さんの陶彩画展を見に行きつつ、北野天満宮について考察を深めるために、京都に行ってきました。ただ、今回は下調べになったかなという感じです。
歩いたルートを整理してみます。
西大路駅→唐橋西寺公園(西寺跡)→鎌達稲荷神社→東寺(御影堂、大黒堂、不動堂、毘沙門堂、食堂)→梅小路公園→梅小路京都西駅→円町駅→一ノ保天満宮→大将軍八神社→東向観音寺→北野天満宮(大杉社、白大夫社、火之御子社、飛梅社、本殿、文子天満宮、地主神社、摂末社、神明社、文子社、野見宿祢神社・一夜松神社・豊國神社、奇御魂神社・一之保神社)→平野神社(出世導引稲荷神社、猿田彦神社、本殿、末社四社、八幡社)→引接寺(千本ゑんま堂)→建勲神社(末社 義照稲荷神社、命婦元宮社、大平和敬神神石、末社 船岡妙見社、本殿)→豊国神社→方今寺→京都国立博物館(北野天神展)
西寺跡。友人が行っているのを見て、私も訪れてみました。般若心経と光明真言で柱を建てる。
鎌達稲荷神社。
東寺
東寺では御影堂の周辺を丁寧に回りました。御影堂はちょうどどなたもいらっしゃらなかったので、束の間ですが、お大師様と向き合うことが出来ました。それから三面大黒天、不動堂、毘沙門堂を回りました。愛染明王と不動明王を合わせた厄神明王もそうですが、大黒さんと毘沙門天と弁天さんを合わせた三面大黒天はすごいですよね。その後は食堂で草場さんの陶彩画を見ました。やっぱりすごいですね。一つひとつのエネルギーをチャージした感じでした。
東寺から梅小路公園を通って電車移動。一服の清涼剤。
円町から歩いて行く途中、気になった神社がありました。身滌大祓を唱え、その後、光明真言を唱えました。最初に道真を弔ったのがここにあった安楽寺で、そこからいったん、北野天神の境内に遷り、再びこちらに再建されたんですね。細かい来歴は今、調べましたが、たしかにここは仏教的な空気が少し残っている感じがしました。
一ノ保天満宮。
大将軍八神社。なんかすごい声で祈祷してました。
東向観音寺。北野天神の本地仏だった十一面観音を祀っています。伴氏廟もありましたが、写真は撮っていませんでした。道真公の母親の廟と言われていて、明治の神仏分離でこちらに移動して来たようです。
本堂。
参道を歩いていると、若い女性の姉妹と父親と、家族のグループのお父さんがここに柑橘で橘であるということを話していたので、気が付きました。そして、ここが奇しくも伴氏廟が元あった場所だったんですね(伴氏社)。
大杉社。ここも力がありましたね。聖歓喜天を祀っていたようです。
参道の火之御子社
文子天満宮
地主神社
北野天満宮、とても立派な本殿があったのですが、私が一番、印象に残ったのは文子天満宮でした。文子というのは、道真の乳母だった方で、初めに北野の地に道真を祀るように託宣を受けたそうです。元の場所にもあるようですが、こちらに遷って来たようです。実は、その斜め前が地主神社になっているのですが、ここは修繕中?でした。地主神社には天神地祇を祀っていると書いてありました。
北野天満宮を出て、近くの平野神社に行きました。
出世導引稲荷神社
出世導引稲荷神社
平野神社はまったく調べずに、しかし、行かなきゃいけない、と思っていたので、行ってきました。改めて調べると、北野天満宮よりも歴史は古く、平城京で祀られていた神様をお連れしたんですね。
お昼を取ってからそのまま歩いて、船岡山の建勲神社に向かいました。その途中に出会ったのが引接寺(千本ゑんま堂)で、この門前でお爺さんが丁寧にお詣りしていました。足が少し悪いからなのか、畏れの気持ちがあるからなのか、中までは入って来られず、門前でお詣りされていました。閻魔様だと怖いとかもあるのでしょうか。現在は真言宗のお寺で、密教とか修験的な雰囲気ももっていました。良いお寺でした。
引接寺(千本ゑんま堂)
義照稲荷神社
命婦元宮
船岡妙見社。
建勲神社から鞍馬口駅に向かうすぐのところに、パン屋さんがありました。メチャクチャおいしそうな雰囲気だったので、買ってしまいました。なんというか、町のパン屋さんの値段で、デパートのパン屋さんみたいなクオリティです。お勧めしたいです。
鞍馬口駅から地下鉄に乗って、五条駅で降りました。後で考えたら、豊国神社や方今寺ではなく、文子天満宮によれば良かったのにとは思ったんですが、博物館の方に向かってしまいました。
北野天神特別展。
北野天神展は勉強になりました。この特別展で私が一番感じたのは、神仏習合というのが正当な歴史であったということです。具体的には、二つの点が私にとっては大きかったです。一つは、十一面観音と天神信仰の習合です。ここに一つのテーマというか、軸をおいたのではないかと思ったくらいです。もう一つは、一つ目の点と関係するのですが、長谷寺と与喜天満宮の関係がより深く考えるきっかけがたくさんあったことです。
長谷観音が貴族たちからも深い崇敬を受けていたことは知っていましたが、それを京都の側から知ったというのが今回です。特に、北野天神の本地仏が十一面観音とされたことがそこに深くかかわっていることを知れたのも大きかったですね。そうであれば、新長谷寺が京都に作られたというのもよく分かります。観音信仰と天神信仰が一体になったことで、与喜天満宮も道真公を祀ることになったんだなということがよく分かりました。与喜天満宮は元伊勢の候補地の一つでもあるのですが、なぜ天満宮になったのかよく分からなかったのですが、これでその疑問は解けました。観音信仰から天神信仰が新たな展開を迎えたと考えれば、納得できます。私は長谷寺の十一面観音は「御足参り」までしたのですが、なぜか瀧蔵権現が祀られていることの方が気になってしまいました(ちなみに、瀧蔵権現に行った日は帰りに大雪のなかを長谷寺まで戻ってきました)。
特別展は、北野天神が中核なので、仕方がないのですが、誉田八幡宮・道明寺天満宮や鎌倉の荏原天神、山口の防府天満宮の資料などもあるなか、長岡天神や大阪天満宮のことがほぼ触れられてなかったのは残念でした。ただ、今回の特別展、メインは絵巻だとは思います。私は絵巻に興味がないので、退屈でしたが、みなさんはよく勉強されているなあというような会話をしている人が一人二人ではなくて、驚きました。というか、ほとんど博物館に来ない私のような人間ではなく、こういう方たちこそが日本の博物館文化を支えているんですよね。そして、だからこそ、こういう展示も開催できる。本当に有難いことだなと思います。私は歴史研究にも触れる機会があったので、なおのこと「有難い」という思いは強くあります。
追記
それはそうと、このエントリを書くために船岡山で検索したら、天河大弁財天の船岡山が出て来て、建御雷を祀っていると出て来て、びっくりしました。以前、私が行けなかったけど、数年来行きたかった、天河大弁財天の末社の一つですし、建御雷=武甕槌命は縁が深い神様らしいのですが、今世ではそれをまだ思い出せていないので、おおってなりました。たぶん、書いておかないと忘れるので、書いておきます。







































