春頃から若者と一緒に行こうと思っていたんですが、なかなかタイミングが合わないので、一人で大峰山を歩きました。
初めてなんだけど、やっぱりというか、なんというか、まったく初めまして、という感じがしなかったですね。あー帰って来たなという感覚です。吉野の金峯山寺に行ったときも、天河大弁財天に行ったときも、そうですが、今生は関東に生まれ育ったのに、どこにいってもただいまという感じです。
大峰山に登る前に龍泉寺を訪ねました。このお寺は女人禁制を解いているので、女性の修行される方もたくさんいらっしゃいました。そして、ここは驚くほど水がきれいでした!
実は昔はここより少し手前の母公堂のところまで女人禁制だったらしいのですが、林業にかかわる女性が増えて、この門までは女性もOKになりました。ここの前の遥拝所には女性も結構いらっしゃいました。
大峰山を登って驚いたのは、講って現代でもこんなに生きてるんだってことです。昔は、たとえば関東だと神奈川の大山講がありました(一応、今もあります)。昔は旅がそんなに簡単ではないので,要は講のメンバーが資金を出しあって、代表者が代参する仕組みでした。関西では、行者講っていうのが今に生きていて、すごい数です。そして、山の中には山伏姿の方達もたくさんいらっしゃいました。というか、体感的には、登山の格好してる人よりも多いかもしれません。
各茶屋の中に祠があります。
お助け水。
有名な鐘掛岩のところです。とてもじゃないけど、私には登れない笑。
西の覗きのところからパノラマで。
大峯山寺。
焼印も入れてもらいました。ミーハーです。ちなみに、私の金剛杖は朝護孫子寺の開山堂で買ったものです。この開山堂、一本の大きな木に沢山の仏像が祀られていて、メチャクチャパワーがあるので、お勧めなんですが、朝護孫子寺ではここまで行かない人も多い気がします。信貴山に行ったときは、恩智神社から往復で歩いたんですが、その帰り道は枯れ葉が多く、この杖なしでは厳しかった思い出があります。
帰り道はほぼ写真を撮る余裕もありませんでした。ただ途中から誰かが私の後ろをずっと一緒にいたのを感じました。怖いという感じはなく、魔が入る時間帯に守ってくれたのかもしれません。過去生の私自身なのか、とにかく行者さんでした。
同行二人、四国のお遍路を歩く人は金剛杖をつき、お大師さまと一緒に歩くと言われます。私はお遍路はしていませんが、最近ではこの杖と一緒に色んなところを歩き、役行者と空海の追体験をさせてもらってると思うことが多くあります。
今回、下にスパッツを履き忘れて、半ズボンみたいにして行ってしまったんですが、山は虫も多いので、絶対上も下も長い方が良いです。私は降り始めてすぐに、山伏のおじいさんにマムシに咬まれるから、気を付けなさいと注意を受けました。講の中でも最長老、80近いかもしれないくらいの方で、みんなから尊敬されてる感じがあり、お話できただけで感激でした。今回、行き帰りにもっとも強く思ったのは、この信仰の道を整備して下さってる方々への感謝です。本当にありがたいな思いました。
私は過去生で、女人禁制のお寺にある姫様を迎え入れたことがあります。その姫様であった人とも実際に会いました。もちろん、当時はすごい反対され、それは決断してからも、続きました。私は今もそのときも別に間違えたことはしてないと思ってたので、同じ状況なら、同じことをするでしょう。ただ、その姫様は私が板挟みになっていたことを申し訳なく思っていたようです。考えてみたら、そりゃそうだよななんですが、その苦しみには寄り添えなかったみたいです。ただ、もう一度言いますが、それでも私はその過去生に立ち戻っても同じ決断をするでしょう。そして、そのことは後生の人々にとっても、決して間違ってなかったと確信しています。
この話が史実であっても、夢物語であっても、どちらでも良いんですが、私の考え方は伝わりやすいかなと思います。その私が、しかし、現代の大峰山の女人禁制はまだしばらくは続けるべきだと考えています。それは逆説的ですが、この現代社会はまだまだスピリチュアルを受け入れる場所が少なく、その意味で男性が修行的な要素が強くても、見えない世界を意識しやすい場所は大切だと思います。もっと時代が進んで、女性性と男性性が自由に行き来できるのが当たり前になったら、そのときは女人禁制も必要なくなるでしょう。
私にとっては、里の行より山の行の方が楽なので、山を歩いたり、滝行してみたいな、は、おそらくみなさんのユニバやディズニーに行きたいなと感覚的にそう変わりません。そのくらい楽しみです。でも、修行をしなければ、ダメなのかというと、特に現代では不要だと考えています。易行でも十分なこともあると思います。
数十年前は、新興宗教にはまるのは女性の方が多かったんです。それはある時期からスピリチュアルに代わりました。特定の宗派に依存させられるよりは、占いやスピリチュアルジプシーの方がよほどマシです。世界では戦争や貧困もなくならず辛い思いをしている人もたくさんいます。それでも、世界は少しずつ良くなってる、絶望する必要はない、そう私は信じています。














