こんにちは、新境地。改めてよろしく、好きなもの。

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人生迷子に陥った三十路手前!!悩みに悩んだ末にたどり着いた”やりたいこと”を目指してがんばる人の備忘録です

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解離性障害と診断を受けて、1年が経ちました。

 

人生迷子はまだ迷子のまま。

デザインの勉強を始めて、創作活動を通して新たな仲間が増えた。

新境地はまだ慣れないし、前職…技術畑にいたころの傷は刻まれたまま。イライラする。

 

一番の悩みは睡眠

とにかく眠いし、起きても寝ても、眠い。

寝れない日もある。

基本は入眠剤が無いと寝れない

 

この1年、非常にたくさんの夢を見る。

昔の友人が出てきたり、殺伐としていたり、色々。

 

 

解離性障害と睡眠と夢

 

夢とは記憶の整理と言うらしいけども、あまりにも見るものが怖かったり意味が分からないものや、現実味が無いものはどうなんだろうか。

果たして記憶の整理なのか…

 

起きて、覚えてるときは夢占いを検索してみたりもする

 

大体は「ストレス」で見るもの。

 

夢を見ると、とても疲れて起きる。

寝た気がしない。

そりゃそうだ。何かしら夢の中でやっているのだ。

 

時にはダンジョンみたいなところ。

時にはホームセンターやショッピングモール。

 

ありとあらゆる場所で、様々な人が登場し、何かを伝えられるし、自分も何か伝える。

 

日中、ぐらっと急に睡眠に陥るときも多々あるけども、その時も夢を見る。

この日中襲い掛かる睡眠がなんとも厄介。

 

なにせ急に来る

処方されている薬の影響なのか、分からないけども、厄介。

 

家にいても、何か作業をしていても、出先でも、ぐらっと来る。

 

とんでもなく疲れているんだな、と認識はしているつもり

 

しているつもりでも、やはり身体的には「ここで寝ないとダメだ」とどこかで信号を出す。

それが昼夜問わず。

夜は入眠剤のおかげで、電池が切れたように寝る。

プツン、と電池切れのように寝る。

ありがたいけども結構これは怖い

気づいたら死んでるんじゃないかとかそういうのがありそうだなとか思う

 

夢で自分が死んだり、逆に人を殺すなんて場面もあったりする。

これが割とリアルで怖い

 

 

睡眠障害は過去、中学生くらいのころに過眠と診断されたことがある。

所かまわず寝てしまう。この間YouTubeで過眠に悩まされている子の特集動画があったな。

自律神経が狂っちゃって眠い、起きれない。そんな障害

私もそうだった。

昼夜逆転なんてもんじゃない。

 

大人になって、精神的なものだけど睡眠障害に悩まされるなんて思わなかったな

でも過去の睡眠障害も精神的なものも少なからずあったような気がする。

気がするってだけで原因が何なのかは当時分からなかった

 

 

最近は色々悩みを持つ子の特集動画が多い。

「もしかして私もヤングケアラー?」と以前書いたのもそう。

 

最近の特集動画で「え、私ももしかしてこれなのかな?」と知るものが多い

 

 

人生の大半は寝ているらしいので、こういった動画で検索して自分なりに調べる

なんとなく、同じ症状で病名がこれだろうか?と分かるだけでも気持ち的には落ち着く。

 

 

今、心療内科・眼科を受診しているけども

心療内科は町医者。眼科は大学病院。

睡眠に関する受診科ってどこになるんだろう。

 

睡眠は気になるので、心療内科にしろ、大きな病院で専門科にかかってもいいかな。と思っている今日この頃。

 

でもちょっと踏み出せない自分がいて困ってます。

私は、どうやら「手書き」にこだわりがあるらしい。

 

どんなにこうやってタイピングをして日記をつけようが、

動画を作って日記にしようが、

 

最終的には昔から慣れ親しんだ、紙媒体での「手書き」になる。

 

これは”意地”なのか、”こだわり”なのか。

 

新境地、Webデザインで生かせることが出来たら、良いな。と感じる。

 

 

 

「手書き」をする、こだわりを生かしたい。

 

手書き。

板タブを持っていようが、アナログにこだわりがあるらしい。

謎にこだわりがある。

本来ならば、文字を打って、加工をしていく。

でも、手書きをしたい。

 

うーん…作字にもチャレンジしていますけども…

 

違う、こうじゃない…

 

こういう、謎の”こだわり”というか、”意地”にも見て取れるの、なんでしょうね…!

 

難しい悩みに直面してしまいました。

 

他にも色々、デザインを勉強し出してから悩みとか壁にぶち当たり…してますけど…

 

 

 

元々、絵を描くのがすきです。

漫画の影響で、イラストを描いたり、岡本太郎さんの影響でパキッとした色使いや、なんじゃこれは、みたいなものを図工・美術で表現をしてみたり…

 

小説もちまちま書いてます。

PCを初めて触ったときは小説を一太郎で書いてましたね。今はメモ帳が多いですけど…

 

DIYも好きです。

ホームセンターで部品を買っては失敗して、買っては失敗して、棚とかを付けたりするのが多いです。

 

 

なので、創作をする、という、「ものを創造すること」自体は子供のころから好きでした。

 

 

 

幼いころからの”技能”と”芸術”

 

 

思えば、私の子供のころの家庭環境的には「創作」をするにはもってこいだった気がする。

 

何せ父が機械工作や電子工作が得意で、夏休みの宿題なんかはしょっちゅう大人の科学とかを渡された。

おかげで工作をしたり科学を学んだりするというのは好き

 

しかし、芸術の面では父は、絵がドヘタだった。図面は分かりやすかったんだけどな。

私の「創作」の”技能”は父の工作からなんだろう。

では、”芸術”の部分はどこから来たんだろう。

 

おそらく、母方の血なんだと思う。父方では無い。

 

 

まぁ、とにかく、子供のころからの環境って大人になってもなにかしらのベース(地盤)になっているのかなと感じた。

 

 

イラストを描くために再び筆を取ったり、

Webデザインの勉強を始めてからというもの、

 

とにかく「創作」活動の毎日。

 

まるで美大生にでもなった気分。

(ちなみに私は大学生を経験したことがないので完全に偏見だ)

 

毎日、何かしら描いたり

広告やLPのデザインをもそもそとやってみたり

動画を編集したり…

最近は作字というものにも手を出した。

とにかく、「創作にかかわる何か」をやっている

 

本職を休んで、辞めて、毎日時間を自由に使える。

確かにスクールの課題…講義…スキルをあげるために必須のやることがあるけど

基本時間配分は自分の裁量。

 

うつ、ヘルニア、ドライアイと治療中なのでその日によって体調の浮き沈みが激しい

でも、「創作」はベースなのか、何かしらやる。

 

うわぁ…めっちゃ疲れた…やばい…終わるかな…とか弱音を吐くけど

面白いのだ。

 

正解も正確も、データで判断されることもない。

完全に人の感覚で出来る。

技術畑にいたときは、データがものを言う。これが好きだったが、嫌いでもあった。

完全に経験値で語られる、技術者。ずっと居たけど、正直嫌い。

 

これが私の中のベース(感覚)と、知識と、技術の鍔迫り合いだった。

なんだか「チリが合わない」

 

結構このもや…としたチリの合わなさが意外と、悩ましいものだったなぁ、なんて思う。

今でももや…とするときはある。

たいがいはこのチリが合わない、というもの。

 

私には”技能”と”芸術”がごちゃっと混ざっているから「なんか…変だな」と思う

最近気づいた、自分の本性ってやつですね。おそらく。

深く考えすぎな面もあるかもしれないが、性格上、突き詰めて考えて納得しないとずっと気にする。

 

 

 

自分の好きなこと

持っている技能

で、振り回されていた…ということ。

 

 

 

「好きを仕事に」とはよく言ったものだけど

 

これが中々に難い闇であることを知る。

 

 

そんな28の秋であった。

 

 

 

 

日記、つけてますか?

私はなんだかんだ、ほぼ日手帳さんにお世話になり早6年目です。

 

昔は交換日記とか、友達とやったけど…誰かで止まっていたりして中々まわってこなかった。

 

昔、ブログやったけど、パスワード忘れちゃったりしてそのままフェードアウト。

(実はアメーバブログもできたころに使っていましたし、ヤフーブログとか、忍者ツールとかも使ったなぁ…)

 

 

今は色んな形で日記を付けることが出来ますね。

写真、動画の精度も上がって、より身近に記すことが可能に。

 

 

そんな私が、ぼんやりと昨年から毎月1つ、2つupしている日記があります。

 

YouTubeによる、Vログというものです。

 

 

日記を付ける、動画を作る。自分の存在。

 

今やスマホひとつで動画が作れる時代。

 

作るきっかけになったのは、自分の結婚式でした。

パーティーで流す動画を作るか~と動画編集ソフトを買ったんですが

 

速攻()挫折して友達に作ってもらう。

そして自分で文字をちょこっとスマホで入れて編集しました。

 

そこから1年、2年と放置された動画編集ソフトの存在を再認識したときに

「あ~~せっかく買ったんだから使わなきゃな~~なんかの役に立つかもしれないから触ってみようかな…」とぼんやり。

 

それからなんとな~く某ようつべにアップして

 

それがぼんやり続いている感じです。

特に収益化とか考えずに、日記を続けるために、ぼんやりアップしてます。

 

本当、ぼんやりです。

 

しかしこれが今や自分を振り返るのに必要不可欠になりました

不思議ですね。

本当、ぼんやりなんですよ。

アクションカメラ(Amazonで5000円)は買ってみましたけど…使いこなせてないですねぇ…

 

毎月、ソフトを開いて

撮ったものを並べて

字幕を入れて

効果音も入れるようになり…

 

 

Webデザインの勉強を始めてからはサムネイルを凝るようになって

(まだ全然フォトショとかイラレとか使い方が怪しいけど)

 

 

毎月ひとつ、アップするだけでも充分なアウトプット。

 

そして忘れないようにするために振り返る。

この”忘れない”ようにする、というのが1年前の私にとっては恐怖でしたから。

 

うつや解離性障害になって

忘れっぽくなったんですね。

頭の片隅にあった、今まで覚えていたことや学んでいたことが出てこなくなったんです。

 

恐怖でした。

「あれ?なんだっけ」と自分のことなのに…

 

”思い出せない”のも怖い。

 

1年前、いやもっと前からかもしれませんが

”自分”がどこかに行ってしまった感覚があったので

”自分”という”存在”を自分で消してるのかもしれないな、とふと思ったんですね。

 

 

昔から写真を撮る習慣があったのでそれを応用して、”記録”するのは大変です。

頭を使う、という行為自体が苦です。

しかし”忘れない”ために、”自分”の”存在”を思い出すために、動画を作る。

 

 

何気なく始めたこと。

自分を保つために役立つ。

新しく始めた道のスキルにもなる。

 

 

割とそれって大事なことなのかもしれない。

 

 

 

 

Twitter** @Okii_design2003