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こんにちは、新境地。改めてよろしく、好きなもの。

人生迷子に陥った三十路手前!!悩みに悩んだ末にたどり着いた”やりたいこと”を目指してがんばる人の備忘録です

私はパソコンは世代としてはかなり早く触れたほうであると思う。

 

小学校3年に上がるころには東芝のDynabookが私のマイPC。

一太郎で文字書きをしていたのが始まり。

保存はフロッピーディスクだったなぁ…

 

中学生で板タブを使ってイラストを描き始める。

高校生のころ、専攻は情報システム(セキュリティ)。

 

イラストは描くけど…プログラミングはやってたけど…デザインは…まったくの素人です。

 

 

Webデザインを学ぶ~1か月(と少し)経過

 

Webデザインに触れ始めて1か月と少し経過しました。

 

スタートしてから危惧していたことが一つだけありました。

 

「デザイン脳に切り替えることが出来るのか」ということ。

と、いうのも、やはり今まで技術畑を歩んできたので、「数値」で覚えることが多いです。

例えば、色を何色、という名称ではなく、”RVなんとか”、”Bなんとか”。

(この間久々にコピックを使って思い出しました)

例えば、淡いやカチッとした、などの表現に対して「どのくらい下げるべきか?」とか正解を探す。

 

別に個人の思うこと、考えだからいいじゃないのか?と思われがちですが。

やはり受講してみて、課題や自主制作を通してみたら、何かチリが合わないな…と思うんですよね。

チリっていうのは隙間とか、クリアランスのことを言うんですけど、ぼんやりとそんなことを思っていました。

 

うーん…?

 

 

先日、改めて二次創作をして、初めてイベントに出展しました。

今まで一般参加者として10年前までコミケに行ってましたが、先日ようやく当時の夢であった、サークル参加を。

久々に漫画を描いて、初めてコピー本として2冊、売りました。

作業中は本当、「どう描いてたっけ…?」との戦い…

 

 

やっと出来ました。うれしかったです。

何せ離れていましたし、デザインの世界に入ってから勉強中ともあってひとしおでした。

 

そこで出会ったのが、フォロワーさん。

会いたかったフォロワーさん。絵がすごー---く上手で、すごく好きなんです。

イベントが終わったあとにお話しする機会がありまして、なんとキャラデザ経験者とコーディング経験者。現役と聞いた。

やっぱりこういった創作界隈。

当事者というのはいるもんだな…と感じました。

 

私はPCを持ってきていたので、バナーデザインやLP、FVデザインを見てもらいました。

お恥ずかしながら、”ポートフォリオ”というものを知らなかった私、フォロワーさんにどうしたらいいか、聞いてみました。

(「実はポートフォリオというものをよく知らなかったんですけど…」っていう感じでw)

色々と教えてくださりました!!めちゃめちゃありがたいです。

 

しかし2人のフォロワーさんの”お仕事”関係のお話になると、

「おお…デザイナーって感じする…!すごいな!!というか表現がわからん!!」

と思っちゃいました。

イベントで出た本の色味やデザインに対しての感想がプロ過ぎてw

 

感覚ですよ~と言われたんですけども、なかなかその”感覚”がつかめない。

感覚…感覚かぁ…(薄笑い)

 

デザイン、難し…!!!

 

帰宅後も悶々と考えています。

”感覚”。

そして吸収しようとするにも”どういう観点で見ているか”

先生にも言われましたが、”どこがすごい”と思うかを具現化する。

 

うー-----ん!難しい!!!

 

 

まだまだ…こういったマインド的な勉強が必要。

 

 

だいぶ…できたかな…と思っていても実際は…というのを痛感。

まだ道は長いですねぇ…

 

 

というわけで…ではでは、次回。

「ヤングケアラー」

 

 

その言葉を初めて聞いたのは、ちょうど休職して2か月が経とうとしていたころでした。

 

 

「もしかして自分もそうだったかもしれない」

 

という確信もあったのが”異常”だと思ってしまったのも事実、あったのですが…

 

 

 

 

もしかして自分もヤングケアラー

 

手伝いとか、当たり前にやるもんだと思うじゃないですか。

 

でも、子供のころから「協力する」という単語が大嫌いでした。

 

縛られたかのように嫌いです。

いうのも、言われるのも、嫌いです。

 

それが何でか、片隅で不思議に思っていました。

 

最近知った言葉です。

「ヤングケアラー」

親の介護や本来ならば大人がやる家事を子供がおこない、自分が社会に馴染めない子供もしくはそのまま大人になった人。

 

ニュースかなんかで知ったんですが、なるほどなという感じの感想より

腑に落ちた感じが強かったです。

 

私は子供のころ両親が離婚しました。

まぁよくある話です。

当時は母親が親権を持つ、当然な時代で、私と妹はほぼ父親と共にいたので何だか良くわからなかったです。

離婚したとしてもまったく会わなかったわけではなし。

特に私は相互を行ったり来たりしていました。

 

「どうして家を出て行った母が親権を持つのか」

 

学校の書類で何回か必要になる親権者のサイン。

面倒に感じましたし、何でわざわざ…と嫌でしたね。

しばらくすると「母親と父親、どっちを信じていいかわからない」という現象になります。

だってお互いがお互いの愚痴、嫌味を言うのですが、ちぐはぐなんですよ。

 

何がなんだか。

 

で、まぁ、父親は周囲より少し高齢で持病もありましたし、自営で仕事をしていたので

当然ながら家のことをやるのは私か妹なわけです。

誰に習ったというわけでもない料理に、洗濯機の回し方、掃除の仕方。

毎日家に帰ってから友人と遊ぶにしても断る場面のほうが多かったです。

 

「ごめん、家のことをやらなきゃいけないから」

 

そういって離れていくのが何だか嫌でもありました。

 

父親のもとでは家事をこなすことが役目であったのですが

じゃあ逆に母親のもとではどうだったかというと

母親は知らぬ間に再婚しており、子供がいました。私と一回り歳の離れた男の子です。

知ったのは中学生のころ。

気づいたらいた。そんな感覚でした。

母親も自営に近いフリーランスで仕事をしていました。土日。

なので学校が休みの時は弟(?)の面倒を見なくてはいけない、とレッテルを貼られました。

高校生の頃はアルバイトをして学費を納め、資格を取っていたので邪魔な存在でした。

 

何かあると「協力してよ」と言われる言葉

 

うんざりしてました

 

なので離れたくてしょうがなくて専門学校1年の冬に家を出ました。

ずっと出たかったので荷が下りた気がしました。

でも付いてまわるもんなんです。

縁が切れないとはまさしくこういうこと。

 

第一コミュニティの家庭がどこかしらで亀裂が入ればもうそこは泥沼。

家庭自体が社会から切り離された、孤立した離島になる。

 

現在28歳になり、前職を退職しました。

社会のなかから切り離されたという感覚は少しばかり感じますかね…

でも自分のやれることで変えられるなら…と勉強しています。

 

処方箋が無いと不安に感じる

ヘルニアのせいでクラッチが踏めない

ドライアイが私の邪魔をする

 

 

正常な状態からどん底って早い。

 

 

でも親は親で私は私。

真実が知りたければ自分から動いて見つけ出すしかない。

私はまず市役所に行って「親と離れたいときってどうすればいいですか」と聞きに行った。

これがあったから動き出せたのかもしれない。

 

 

ヤングケアラー。

 

何万人といるんだろうと思う。

私もその一人だったかもしれない。

 

救われて好きなこと、夢を思う存分やってほしいなと願う。

 

 

 

ローギアで、ゆっくりと進めればいいさ

コケたら起き上がれ

 

大丈夫焦ってもいいことないさ

 

焦ったら負け

 

ゆっくりのんびり、歩いていこうではないか

 

 

 

課題のFV作成!!2週間もかかっちゃった…

思い通りに行けるなんて世の中そうは甘くないってことですね

 

 

がんばっていきましょう

気張らずに

 

 

Twitter***@Okii_design2003

 

 

そう、あれは衝撃が走ったことだった

 

自分で、絵を描くということの上位互換

 

活動

 

初めて手にした同人誌

 

初めて行った、あのコミケ

(初めて行ったのは69回目とか…だったかな)

 

あのときの衝撃は今も忘れない

 

 

 

二次創作を改めてやってみる

 

創作といっても様々なものがある

その中でも一時創作、つまりオリジナルに関しては子供のころから描き続けている

 

そして二次創作、ここ数年なにかとガイドラインが出来たり注意喚起もあったりと話題になっている

 

この世界に初めて踏み込んだのは中学1年生のころ、友達に借りた商業同人誌を見て、描きたいと思った

当然ながら絵柄的には”少女漫画”風ではあるのは自覚していたので、好きな作風を崩してしまうという恐れがある

でもあまり気には留めていなかった

とにかく描きたい一心で、描き続けた

 

友達と毎日描く好きな作品

毎日毎日白い紙から教科書の隅まで、描いていた

描いては、スカイプ(当時はまだかけ放題やギガ放題とか無かった)で投げ合う

描いては、イラスト共有サイトにアップし、サイトを立ち上げた

コミケにも行きましたが、一般での参加で、サークル参加や本を発行とかしていませんでした

 

それは高校卒業までつづき、専門学生になると少しずつ離れてしまった

毎日描いていたのが数か月に一回

卒業後、働き出してからは年に数回

 

減りに減っていた

 

 

休職して、改めて筆をとって、描き始めたら

 

「あれ?私の好きなこと、今からでもできるかな?」

 

そういうわけで

 

10数年越しの”二次創作”、”サークル参加”をしてみることにした

 

初めてのサークル参加は”オンラインの同人即売会”

初めての配布物は”無配ペーパー”のみ

あとは過去に描いた作品の展示と、リクエストで絵を描く”エアスケブ”

 

サークルスペースは、こんな感じでした

新鮮だなぁ…

 

 

どれも初めてで、学生のころ思い描いたやりたかったこと

好きな作品、好きなキャラクター、絵師さんたちとの交流

オンラインでの即売会なんぞ当然10数年前はなかったので操作とか、色々戸惑いましたが

楽しかった!!!!!!!

 

 

楽しい、と思えるって大事

 

心から楽しい、と思えるのは大事

 

 

改めて創作の世界で、仲間と、昔よりずっと気軽に繋がれるのが

 

 

良い時代になったなぁ!!と思いました

 

 

今後も活動していきたいね

 

自分の好きなもの!!!!!!

 

 

過去、うつを何回か経験しています。

 

多くは母のこと(結構複雑な家庭環境)であったり、家のことが主な原因と思います。

 

子供のころの影響って大きいんですね。

 

あとは、いろんな職場であったり。

 

適応障害であることを専門学生の時に診断され、

就職後も適応障害、さらに失声症という声が出なくなる病気になりました。

 

そして今回、1年もの歳月をともにしている、いや、それ以上かもしれない。

 

中等度うつと、解離性障害

 

一番怖かったのは「自分がわからない」という感覚でした。

 

何を目指していて、何を誇りにしていてとか。

 

あとは「忘れること」でした。

 

少し前までできていたこと、専門的な知識もそうですが、その単語が出てこなかったり、計測器が読めなくなってしまったこと。

 

ショックがデカすぎて…

 

「え?こんな簡単なことができなくなってるの?」

 

そればっかりでした。

 

何をするにも忘れており、ショックを受ける。

 

今でも同僚だったひとの名前も少しずつ忘れています。

好きだったものやものの操作、スケジュールなども忘れがちになって早1年強。

 

不思議なことにPCのタイピングはほぼ完遂。

絵をかくのもどこからスタートして描くのかは変わりません。

 

 

6年前から、手帳に日記を毎日書くようにしています。

 

今日は何をした、

何があった、

何かを貰った、

こんな夢を見た…などなど

 

些細なことも書くようにしていましたが、

たまに書き留めるのが一日の終わりだったりします。

 

あ~~!忘れてた!と急いで書き留めるのもしばしば。

 

しかしそれはまだいいほうで、昨年休職する前~辞める前は一言、ただ「眠い」という言葉だけが続く日がありました。

 

その時はひたすら、ただただひたすらに眠かったし、だるかった。

 

休職する頃は角膜炎をしたのもあり、明かりが眩しくて目が痛くて(今は極度のドライアイで同じ症状ですが)

何も考えたくなくてひたすらベッドの上。

 

しかし「眠い」という言葉が割と苦しい思いをしました。

 

中学生くらいのころに「過剰睡眠不眠症」と言われたことがありました。

寝ても寝ても寝足りない、昼夜問わずどこでも寝てしまう障害です。

 

それがどこでもいつでも寝てしまうので

 

「気づいたら死んでる」

 

とかなってしまうんじゃないか?と恐ろしかったです。

 

就職してもそれは変わらなかったので怖かったです。

 

整備中に急な睡眠が襲ったり、会議中にも、何をするにも、ふっと寝てしまう。

 

今は落ち着いていて急な眠気というのはないのですが

中等度うつ+解離性障害になって薬物療法の際は薬の副作用が強くて、合う薬がなかなか見つからなかった。

 

ズルズルと引きずって通う通院

休職している間~今は一人で出歩く外が怖いと感じ、誰かいないと出歩けません…

動悸や震えが止まらなかったり

前職での記憶が出てきたり

怒り出したり

泣いたり

とにかく大変です。

 

好きだったものが好きでなくなったのも怖かったです。

 

自分が何か、わからなくなったから。

 

おかしいおかしい、と何度も思いましたが

やっぱり嫌いなんですよね、これが。

 

CMを見たりするとイライラします。

 

どうしようもないな…と思いました。

 

だって運転もできないんですからね。今でも無理です。大汗かきます。

助手席に乗って通院したり、出かけたりします。

 

それでも、旦那や妹がいないと不安で仕方がないです。

 

ここ数か月ですね、ちょっと明るくなってきたの。

ローギアです。

 

いろいろと精神疾患というのはあって最近注目されてきましたが

やっぱり昔からの「根性精神」や「上下関係」的なものに見えないもので縛り付けられてるので

その環境になじんだり、自分が病気になったときに周囲に理解されなかったりと難しいんじゃないかなと思いますね。

 

つくづく。

 

さらに性格診断の精密版も注目されて「人格」に対して「生きやすく」するというのも見るようになりましたね。

本当に生きづらくしているのは「自分」か「他人」か「環境」か「風習」か。

思うところがたくさんあるなぁ…と

 

 

感じていた代表なのでした…

 

 

まだまだ薬での治療が続きますが

肩を張らずに頑張りたいものですね。

 

 

では。

 

2022年8月31日をもって4年半いた会社を退職しました。

 

専門学生時代から10年の技術畑をぱったりと止めることになったわけです。

 

そして新たにデザイン畑として耕す必要がありました。

 

 

 

 

 

技術畑からデザイン畑へ耕すこと

 

 

 

知識…いわゆる技能的な面でつながる部分というのはどこかしらにあります。

ロジック的な部分だとか、もちろんあの地獄のような日々の資料もこれから役に立つでしょう。

 

しかしやっと、1年の休職を経て離れられたとはいえ

 

ちょっと気になるというか

ふと思い出しては癪に障る部分というのは必ずしもあるわけで。

 

10年の技術畑に、生まれながらにしてずっと機械とともに育ってきたので余計。

 

目に入る情報からよみがえる嫌な記憶もあります。

 

イライライライラ。

 

頭の中はどうあがいても機械や車のこと。

とにかく離れてほしい思いでいっぱいです。

 

いたし方のないことではあるのです。

 

今まで頑張って育ててきた畑を壊して

 

イチからやり直す。

 

 

長年育ててきたものを引っこ抜いて新たな畑にするもんですから大変です。

 

 

8月から勉強を始めて種をまいて、9月。

 

まだまだ芽は出ません。

 

そのうち出ると思います。

 

 

まだローギア。

 

頑張りましょう。

 

 

頑張って耕して広げていきましょう…

 

 

 

 

Boffo Creationは9月18日から本格始動します。

面白いデザインを創造していけるように…

 

ぜひよろしくお願いします。

 

 

 

 

Twitter*** @Okii_design2003