もう一度、書こうと思う | たまゆら~気ままな時間の過ごし方~

たまゆら~気ままな時間の過ごし方~

ヒーラー、セラピスト、そして在宅ワーカーからまた勤め人へ?!
人生、好きに生きてます。



今までの私の人生。



これを読んで人はどう思うかわからないけど。




今まで書けなかったことも。







私は、両親の愛が離れてしまった後に生まれた子供です。



結婚しても、女遊びが激しかった父。


それは、子どもが3人生まれた後も変わらずで。



そんな父に我慢が出来なかった母。



3人目の子どもが生まれて数年たった後


神にすがる思いで、霊能力者と呼ばれる人のところへ行ったそうです。




「今年中に女の子が生まれたら、家庭は大丈夫。


男の子だったら…その時は諦めなさい。」




そして、私を身ごもりました。


予定日は12月。




つまり、最後の賭け。






そして、私が生まれました。



願い通りの女の子だったけれど


果たして私は、家族を守りきれたのか。



私が生まれてからも、いつも女性の影があった父。


借金癖も治らぬまま。



物心ついた時から、両親の離婚を願っていた私に


家族を守る力なんて、あったのか。なかったのか。



自分が通う中学に


父親の愛人の子も通ってるなんて。


それも、父にどこか似ている男が。



きっと、麻痺していたんだな、と思います。


みんなが。



ただ



私は、


父からはどう思われていたのかはわからないけど


母からは、望まれて生まれてきたのだと


その思いだけが、私の命をつないでいたのだと。


たとえそれが、無条件に私を望んでいなかったのだとしても。


父をつなぎとめるだけのために、作られた子どもだとしても。






両親に、心から甘えられる人が羨ましかった。



両親の顔色をうかがいながら生きることは


心が麻痺して、それに気づかなくなるくらい苦しいものなのだと。




親子でケンカができることは、とても幸せなことです。


私は、父の存在を無視していたから。


それは、父も同じく。



好きの反対は無関心だと、よく言いますが。


まさにその通りで。






そんな私は


学校でのもめ事も


進学も、就職も、結婚も



親には一言の相談もなく決めました。



相談なんて、できなかった。


しようと思わなかった。




結婚してからの仕事のことも


最初は夫にさえ、何も相談ができなかったほどです。



子どもができなくて苦しかったときも


夫に内緒で何年も病院に通いました。



言えなかった。



受け止めてもらえる、ということが信じられなかった。怖かった。


弱い自分を見せることを知らなかった。怖かった。慣れていなかった。




長男を出産間近



長男と共に命を落としそうになった時も


どこか冷静だった。



こんな私が、何事もなく元気に赤ちゃんを産めるわけないんだよな、って


破水と間違うくらいの量の出血をしながら


病院まで向かうタクシーを待ちながらそう思った。



もうちょっとだったのにな。

もうちょっとで臨月なのにな、と。




ただ、やっとやっとできた我が子を


もしかしたら夫に抱かせてあげられないかもしれないということだけが申し訳なかった。






今の私は


ちゃんと「お母さん」だろうか。



お母さんって、


子どもが甘えられるお母さんって、どんな感じなのだろうか。




私に無条件で甘えてくる我が子たちを見ながら



あー、子どもの頃にこうやって受け止めて欲しかったな、と


今さらながら、思う。




今の私の、実母に対する甘えは


きっと子どもの頃の、復讐心。



そして、それに気づいている私。




もっと子どもらしく、過ごしたかった。










見せているもの。

隠しているもの。




忘れられないもの。

忘れてしまいたいもの。


忘れているフリをしているもの。



見えているものが、すべてではない。



きっと私は

そんな多面性のカタマリです。




長くなったので、この辺でちょっと休憩。