※一部ネタバレあり

 

 1958年フランス。マイルス・デイビスの音楽が有名なサスペンス映画。ルイ・マル(当時25歳)の監督作品。街でちょっとした接点をもつ若いカップルと中年のカップル。中年カップルは計画的に、若いカップルは衝動的に、それぞれ時を違わず殺人を犯す。

 

<あらすじ>

 社長夫人のフロランス(ジャンヌ・モロー)と社員のジュリアンは不倫関係にあった。二人は共謀し、ジュリアンは社長を自殺にみせかけて会社で殺害。その後フロランスと落ち合うために車に戻ると、最上階の社長室のベランダに自分が使ったロープが揺れているのが見えた(忘れなかったとしたら、どうやって外すつもりだったんだろう)。証拠隠滅のために戻ろうとすると、運悪く乗ったエレベーターが止まって閉じ込められてしまう。みな帰宅して社内に誰もいないと思った警備員が電源を落としたのだ

 一方花屋の店員の娘ベロニクとそのチンピラの恋人ルイ。ルイはキーがささったままのジュリアンの車に誘われるように乗り込むと、ベロニクを乗せてドライブに出てしまう。ジュリアンの車にベロニクが乗っているを見たフロランスはジュリアンが夫を殺すことなく娘と逃げたと誤解。ジュリアンの姿を求めて夜の街をさまよう。

 若い恋人たちはジュリアンの車でドライブを続行すると、たまたま知り合ったドイツ人夫婦と酒を飲む。今度はそのドイツ人夫婦の車を盗もうとして、結局車にあったジュリアンの銃で夫婦を殺害してしまう。警察は残された証拠からジュリアンをドイツ人夫婦殺害の容疑者として指名手配する。

 

 日本の二時間ドラマでもできそうな内容だ。でも日本のテレビドラマで作ったらこうはならない。間違いなく違うのはカメラ、演出。もっとベタベタして湿っぽく、どんより鬱陶しいテイストに仕上がること間違いなし。この突き放した感じこそがおフランスの神髄だわよ。好きだわ、こういうの。あたし日本的にウエッティな辛気臭さ大嫌い。それがよく表れているのが、刑事ものドラマなんかの「かわいそうな犯人」。ほんと好きだよね、かわいそうな犯人。刑事ものとか全犯罪ドラマの何割を占めているんだろう。つーか、百歩譲って犯人かわいそうでもいいんだけど、そこを掘り下げて尺を稼ぐのが本当にイヤ。「ほら、この犯人はこんなに同情に値するんですよ」。ああ辛気臭い。日本人が感傷好きなのも嫌いだし、感傷をさらに煽るような演出ってほんとうにおぞましい。
 といいつつも、この不倫カップルもよくわからん。なんで社長を殺す必要があったのか。単に二人が一緒になりたいということなら、離婚するなりして一緒になればいい。駆け落ちとかね。二人は冒頭から「あなたさえいれば」みたいなロマンチックなことを言い合っている。二人の不倫関係はまだ社長にバレてはおらず、社長は疑ってすらいない。なのにあえて殺人まで冒すというのは、要は金だ。女は死んだ夫の莫大な財産を受け継ぎ、男も会社(社会)での地位を失わない。しかしその辺についての経緯・人物描写等は一切ない。びっしり説明されても白けるが、もうちょっと明確にしてほしいよな、と思う。

 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という小説を昔読んだ。映画はみていない。これも不倫カップルが女の夫を殺す話だが、こちらは男女が出会ってから犯行に至るまでの経緯がクールな筆致で描かれており、ロクデナシの男女なりの姿に説得力があった。この映画も若いカップルのほうは「思慮の浅いバカ二人」で終始描かれているので二人の行動にリアリティがあるが、中年カップル二人はキャラクター設定というかひととなり、その背景がイマイチよくわからない。その辺もこのおフランスならではのクールな距離感でもうちょっと説明してほしかった。というわけで映画に出ている情報から私が想像してみる。
 美しいフロランスは年が離れてはいるが武器商人である大金持ちの社長と結婚する。裕福な生活目当てで結婚して目的は果たされたが、心も体も満たされない。そんなとき夫の会社の社員であるジュリアンと知り合う。ジュリアンは遊び人で女の扱いにも慣れている。夫である社長よりはるかに若い。類は友を呼ぶというか、この二人は近い価値観の持ち主だ。話は違うが、東名BM煽り運転(X5)の中年男女にもそういう絆の深さが感じられた。ガラケー女のアレ。こういう二人は出会えば絆が深まるのは早い。似通った想念の持ち主。その一体感に互いに夢中になり、ずっと一緒にいたいと思うが、夫人が離婚してともなれば裕福な生活は一切なくなるし、男も会社にいられなくなるどころか、社会的地位も失うだろう。社長はそれほど影響力のある男だ。今持っているものを失わずに二人が会いたいときに会えるようにするにはどうしたらいいのか。殺人を最初にもちかけたのはどちらだろう。きっと、どちらからともなくだろう。冗談で言ったことに徐々に本気になっていくような。そもそも出会う前からそういう二人なのだ。”真のパートナー”に出会って、抑え込まれていた互いの邪悪さを増幅させるような。フロランスは「愛のため」を繰り返すが、基本的には「金と愛欲のため」だ。でもフロランスは愛に生きる女と自分を美化している。ジュリアンのほうにそういう自己欺瞞はないかもしれないが、フロランスの自己美化の欺瞞はすごい。「幸せになりたかっただけなのに」。夫殺しを計画したフロランスの指す「幸せ」が贅沢な暮らし込みだというのをもうちょっと浮き彫りにしてほしかった。それともこういう物語前のいきさつは想像できるヒントは全部出しているので、そこを想像させて余韻を楽しんでもらうというのも計算ずくなのかな。でもあの東名あおり熟年カップルも自己欺瞞満載だったな。かなり似てるよ、この二組のカップル。見た目は程遠いけど。
 しかしお金をかけなくても、演出と脚本、カメラでこういうかっこいい映画ができるというのの見本ではあると思う。

 あたし、調べたらルイ・マル作品をいくつか見ていた。この映画も若い時に見てるし、「地下鉄のザジ」を見たらオレンジのセーターとグレーのプリーツスカートの組み合わせがかわいくて、20代(1990年代)だったか、同じ配色でけっこう高いセーターとスカートも買った。あのころはファストファッションの世の中ではなかった。「ダメージ」「42丁目のワーニャ」なんて公開時に映画館で見てる。