沢尻エリカ逮捕をきっかけに読んでみることに。今年の大河ドラマは明智光秀(長谷川博己)が主人公だが、織田信長の正妻帰蝶を演じる予定というか、既にいいかげん収録してしまったところで逮捕されたのが沢尻エリカ。帰蝶は斎藤道三(モッくん)の娘で、母親は明智家の出。この斎藤道三を主役にしたのが司馬遼太郎「国盗り物語」の前半だ。文庫本で全四巻のうち、最初の二巻は道三、あとの二巻は道三の娘婿、信長が主人公となっている。そもそも「サンデー毎日」での連載開始時は道三の話で終わるはずだったそうで、タイトルも「国盗り物語」。一介の油売りが美濃の国を乗っ取る話だったのが、好評のため続きを書いてはどうかとなり、道三の娘婿信長と甥(?)光秀の話まで続けられたようだ。というわけで二巻の終わりで道三は死ぬのかと思ったら、三巻の途中まで生きている。第二巻は道三による美濃「国盗り」がほぼ完了し、娘帰蝶と織田信秀の息子信長との縁談話が出るまで。巻末のほうに少年時代の明智光秀も出てくる。
 斎藤道三といえば「蝮の道三」。乱世、下剋上の象徴的人物とされており、この小説もそういう物語だが、最近の歴史研究によると道三の父親との二代で斎藤家は覇を広げたとされているようだ。こういったことは歴史小説についてまわる事柄であり、そんなこと気にしていたら歴史小説は楽しめない。ただまあ、どうせ読むなら”最新の史実”も知っておきたいよな、とは思う。この「国盗り物語 道三編」は司馬氏の創作による部分も多いだろうから、ざっくりみて親子二代の話がここでは一代記で語られていると思えばいいのだろうか。どこが父子の切れ目かわからないが。

「革命は、美と善を目標としている。すべての陰謀も暗殺も乗っ取りも、革命という革命家自身がもつ美的世界へたどりつく手段に過ぎない。革命家にとって、目的は手段を浄化する」
 道三の起こした「革命」の意思を受け継ぎ、形にするのが信長だとこの本ではなっているようだ。

「見えざる人の悪罵をあれこれと気にやむような男なら、行動が萎える。とても庄九郎(道三)のような野ぶとい行動はできない。(中略)革命家という、旧秩序の否定者は、大なり小なり、こういう性格の男らしい」

「気運(しお)とはおそろしい。庄九郎(道三)の信ずるところでは、気運が来るまでのあいだ、気ながく待ち、あらゆる下準備を整えてゆく者が智者である。(中略)その気運がくるや、それをつかんでひと息に駈けあがる者を英雄という」
 同じことが山岡荘八「徳川家康」にも書いてあった。家康はいかにも気が長く気運を待ちそうだが、せっかちな印象のある秀吉もやはり時機を待たねばならないときには恐るべき気の長さを発揮したと。世の中から認められる智者や英雄とまではいかなくとも、普通のひとのなんてことない人生にもこのことは当てはまる。歴史的に見れば凡庸な人生の範囲にあったとしても、個人の人生としてみればその差は天と地ほどになりうる。卑近な例だと、恋愛、結婚、商機、転職etc。「こういう好機は、人間の一生で何度も訪れるものではない」。

 以前読んだ司馬遼太郎の「関ケ原」はさほど面白くなかったが、こっちは面白い。ちなみに両作品ともほとんど同時期に執筆されたようだ。「蝮の道三」と呼ばれた男の活き活きした描写の連続。斎藤道三や帰蝶については資料が少ない。当時の世情なんかについての資料はたくさんあるだろうから、司馬氏が「史実」に縛られず、周辺資料に立脚して想像の翼を大いに広げられたのが吉と出たケースではないだろうが。変に資料多いと矛盾がないようにと神経を砕いて、まんべんなく情報を網羅記載しようとすると情報過多っつーの? 文字だけで全体を理解、把握するのはシロウトには無理。結果退屈になったりするよ。「翔ぶが如く」なんかも読みにくくて大変だった。面白くなかったし。
 読みやすくて面白いんだけど、ヘンなところが長い。このテの内容で、男女の駆け引きみたいなのに、ここまでページ使う必要ある? って感じ。特に第一巻に多い。初出は週刊誌のサンデー毎日。必須の読者サービスなんだろうか。エロに関心が高い私ですらこの恋愛パートの不必要な長さに退屈を感じた。というわけで第二巻のほうが面白いかな。文庫本の字もデカくて老眼の身には嬉しい。
(新潮文庫 各750円)

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