※NHKの番組「本能寺サミット2020」の内容について加筆しています(3/20)
というわけで「国盗り物語」の後半二巻、織田信長編。後編で信長編にがらっと切り替わるかというとそういうこともない。第三巻の半ばくらいで道三が討ち死にするし、第三巻は道三、信長、光秀の三人にほとんど等分にスポットが当たる感じだ。第四巻は本能寺に至るまでの過程を描く。面白いかどうかでいうなら、四巻中一番面白かったのは二巻かな。あとの二冊(信長編)はそれほどでもない。四巻の後半は主に光秀サイドから物事が語られるのに、光秀の心情の変化がもうひとつ生々しく伝わらず、本能寺が迫るにつれなんとなく安直な、今風に言うならふわっとした感じっての? 唐突感というかやっつけ仕事的な印象すら受けた。光秀より信長のほうが司馬氏はうまく捉えていた気はする。
明智光秀が主人公の大河ドラマ「麒麟がくる」が放送中だが(みてない)、本能寺の変って実際どうなんだろう。テレビでも小説でもいろいろな描かれ方をしている。明智光秀も信長夫人の濃姫にしてもそもそも資料が少ないそうなので創造しやすい。作品ごとに比べるのも面白いだろう。私が最も最近読んだ(観た)のは山岡荘八「徳川家康」の第八巻だ。特に歴史に造詣が深いわけでもない私だが、この司馬版は後世のいわゆる講談とかで有名な話に寄っている気がする。「敵は本能寺にあり」も言うし、「是非に及ばず」も言う。濃姫も本能寺に一緒にいて薙刀ふるって討ち死にする。山岡版では家臣も信長を討つことを当初から了解しているが、司馬版では「敵は本能寺にあり」と言われて初めてそうかと思うといった設定だ。司馬版の光秀はそれまでのきさつはあるにせよ、ノイローゼ気味になり衝動によって本能寺の変に至る。本能寺前後から山崎の戦のあたりまでで比べるなら、山岡版のほうにリアリティ(みてきたような嘘/伝わりやすさ)では軍配を上げたい。
どこで読んだかはっきり覚えていないので恐縮だが(覚え違いか)、司馬氏が「光秀がなぜ信長を討ったかは結局のところ分からないが、秀吉だって薄氷を踏む思いで信長に仕えていたはずだ」とあった。また歴史番組だったか、信長が本能寺、同日嫡子信忠も妙覚寺という、同じ京都にあり、二人そろって警備の手薄な場所に宿泊しているうえ、織田家重臣の羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益らも地方に遠征中という、千載一遇のチャンスに遭遇しなかったら光秀も造反を起こすようなことはなかったかもしれない、とあった。いかにもありそうなことだ。特にあたしなんかはこういう事態に直面すると「この時を逃すまじ。まさしく神の采配」とか思うタイプだ。光秀もそう思ったのかもしれない。でも結果はこの通り。「見えざる手」のような存在があるとして、それはこの時どういった働きだったのか。
私自身のくだらない例で恐縮だが、私は夫に出会う数年前、つきあってもいない男性に「この人こそ運命のひと」と「頭でウエディングベルが鳴る」状態に陥り、結果大変痛い目をみたことがある。その後夫に出会って少ししてから、やはりつきあってもいないうちに「この人と結婚するのかもしれない」と思った。しかしこの時は前回と違って高揚感はなくフラットな感覚で、また前回の苦い経験も踏まえて自らこの感覚にあまり取り合わないよう自制した記憶がある。こうして人生を思い返してみると「これぞ神の思し召し」と多少なりとも浮かれた感覚があると結局梯子を外されている。本当に「神意」とともにあるとき、ひとはフラットなものなのかもしれない。本人の意思/評価と関係なく物事はそうなるのだから。光秀は本能寺のめぐりあわせに気づいたとき、その感覚はどちらだったのか。フィクションにするなら、興奮状態でも、フラットな状態でも、どちらでも描ける。でも山崎の合戦とかの経緯を見ると、たぶん前者だったのだろうな、と予想される。
プチネタ。この時代の馬というのは現在で言うところのロバに近く、今時代劇などでもよくみるサラブレッドとは別の種類とのこと。サラブレッドはもっと後世になって日本にも来たようだ。この時代の実際の馬はロバに近いので、大柄なひとなら足がつくこともある。確かに今私たちが馬をイメージするサラブレッドで峻険な山道を行くのは不可能と思われる。サラブレッドは速く走れるが脚がもろい。そう考えると馬を駆る武将の姿も実際はずいぶん違ったものになりそうだ。
※「国盗り物語 斎藤道三編」はコチラ。
※私たち夫婦の結婚のいきさつについてはコチラ(「電撃結婚でもある」)
(3/20加筆)
NHKで「本能寺サミット2020」(爆笑問題司会)が放送されたが、大変興味深い内容だった。様々な説について歴史学者が討論。その中で紹介されていた説のうち、私がもっとも面白い(いかにもありそう)と思ったものを私の恣意をもってまとめる。番組の内容を正確に伝えていない可能性もあるが、ご容赦願いたい。
当時信長は領地拡大(天下統一)を続行。四国攻めに着手しようとしていた。四国には長宗我部氏と三好氏が有力大名としており、光秀は信長から長宗我部氏との仲介役を任されていた。信長は支配下に入ることを前提に長宗我部氏を存続させる方向で、そのために光秀は尽力していたが、途中で宗旨替え。三好氏を立てて長宗我部氏を滅ぼす方向に転換する。長宗我部氏に対する光秀のメンツ・尽力が台無しになった上、光秀は仮に四国攻め(対長宗我部戦)が実行に移されると、長期にわたる泥沼の戦になると予測。信長の天下統一事業そのものに光秀は危機感を抱くようになる。当時秀吉は中国の毛利氏と、柴田勝家は北陸などそれぞれに長い間戦にあけくれていた。そんな四国攻めの寸前、京都市内の警備手薄な寺に信長と家長信忠がそれぞれ別々に滞在することに急遽予定が変更される。光秀は造反を以前から計画していたが、この時を逃すまじ、と実行に出る。自分が天下を取るのが目的ではなく、あくまでもあるべき天下の姿のため。目的が果たされたのちは自分の息子や細川家の嫡男に天下の仕置きを委ねるつもりだった。こういった光秀造反の動きを秀吉はずっと以前から察知していた。「いつかあいつはやるだろう」。中国での毛利戦の最中に本能寺の一報を受け取ると、普通はする事実確認をする時間も取らずに急遽帰京。自分が織田家(天下)の実権を握るチャンスを逃すまじと中国大返しの大博打に出て、織田家の大将を立てることなく自ら山崎の戦いに勝利する。
★今月の出来事★
新型コロナウイルスの蔓延により世界的に混乱。日本でも三月上旬は小中高校が休校に。世界株安も乱高下しながら進行。