コロナ禍真っ只中のお盆休み、猛暑の中私はテラスに面した窓を拭いていた。すると夫がやってきて、ガラスをチェックをした。
「そこ、シートに傷ついてんだよね。ガラスそのものにこういう傷は早々つかない」
夫は前妻と新築のこのマンションに越してきたとき、南側のガラス窓には紫外線除けの透明なシートを貼った。15年以上経過した現在、これが浮いているような箇所はいくつもあった。夫が気にした傷についても以前から私は気づいていた。
「まあ、いろんな起こりうるからね。気をつけるように」
? どうもそのシート上の傷は私がつけたことになっているようだ。先日皿にひびが入っていた時も、私がしたことになっていた。「だって俺、皿洗わない」。その時も釈然としなかったので、またかとこの時はブチ切れた。
「え? これってあたしがやったの?」
あたしがつけた傷でないとはいえないが、確信をもって私の責任にされることにも納得いかない。
「だってクリちゃんはしてないからね」
やっぱり。
「なんで自分がつけたんじゃなくてあたしだってそう確信をもって思い込めるの?」
「クリちゃんは何十年もそうして生きてきたから。なにかしでかしたときは、あれか、って心当たりが必ずあるから。それがないってことはクリちゃんじゃない」
ここから大ゲンカが勃発。知らず知らずのうちにもしかして自分が、とは思わないのか? 思わない。自分にそれはありえない、でマジのキレキレ言いあいの応酬。
「無意識の管理ができるなんて、あんたすごいね。無意識の意味わかってる?」
「何十年もそれでやってきて、なにか違ったことが起こったことはないからね」
「これからどんどん認識力が低下するじいさんになるのに、それでは先が思いやられる。なにがあっても全部あたしのせいにされる。”お前やらかしただろ、だって俺には心当たりがないから”って言われたらどんな思いがするか、あんた一度ひとから言われたほうがいいよ」
この日私は酷暑に負けてジムに夫に車で送ってもらう予定だったが、こいつと一緒に狭い車内を共有するのはキツイと歩いていくことに。
「どうして? クリちゃんが送って行ってあげるよ?」
私を犯人扱いした夫には「自分ではない」という確信があるだけで、私を責める気持ちもなければ悪意もない。
「この状況で狭い車内に二人きりはキツい」
照りつける日差しのもと、とぼとぼ30分弱ひとり歩いてジムへ。夫は以前からああだ。自信家なのはいいが時折それを通り越して傲慢になる。今後夫はあの傲慢さによって天罰を受けるに違いない。会社でのトラブルをよく調べもしないで部下を犯人扱いして、「だって俺に心当たりないから」。本人に悪気も相手を責める気もない。むしろ彼の中にはおそらく「他人の過ちを赦す寛容な自分」がいるくらいなのだ。もしくは彼が上司から身に覚えのないことで「犯人扱い」されるケースも大いに考えられる。彼にとっては紛れもない濡れ衣だったとしても、私は「やっぱり起こったか」と思うしかない。いずれのケースにしても、仕事上で彼にこういったトラブルが襲いかかることは私にとってもプラスではないが、子ナシ専業主婦、一蓮托生を選択した身としては、こういったことも含めて甘んじてわが身に受け止めるしかない。因果応報なんて言葉があるが、こういったことは天罰というよりむしろ人生による愛の鞭なのだ。
てなことを考えながらジムでトレーニングをしていたら夫からLINEが来た。私が猛暑をものともせず、一人で家を出たことに想定以上の事態の深刻さを見たようだ。
「ゴメンね。帰りは迎えに行くので連絡ちょうだい」
「愛の鞭」がもし相応のものであれば、私の意図とは関係なく彼に下るはず。天意とはそういったものだ。委ねなくてはならない。夫と離れ、ジムにいたらそんな考えに思い至り、とりあえず「なかったこと」にして迎えには来てもらった。距離を置いて頭を冷やすことはお互いにとって重要だ。
そんな彼に”天誅”というか“気づき”は思ったより早く訪れた。
翌日箱根にゴルフに行った。私が最も頻繁に参拝に訪れているパワスポ、箱根神社に早朝訪れてからゴルフ場へ。箱根神社に千円、隣接する九頭竜神社に500円お賽銭。言うまでもなく夫が稼いだ金だが、それなりに正式な気持ちがあるなら最低でも札と私は思っている。いい大人が10円とか45円とかって、ひとの家に呼ばれてポテチ一袋を持っていくようなものだ。特に信心のない夫は賽銭が多いと思っているが、私と言い争うのが面倒なのと、お金にそもそも執着が薄いので私の言うがままだ。これが効を奏したのかどうか。鉄は熱いうちに打てとはいう。
午前中のハーフ。夫は既に回ったこの八月の二回、113、109と大叩きをしていた。109の前回は私と一緒で態度も大荒れ。プレーがひどく雑になりダブルパーを叩いたホールもあった。それがこの日は絶好調。ハーフの自己最小記録を達成しようとしていたところ、ウエッジを一本、どこかのホールに忘れてきたことが判明した。私はちょいちょいクラブを置いてくることがあり、そのたびに「きちんと本数確認して!」と出来の悪い子供のような扱いを受けてきたが、この日は珍しく夫が忘れてきた。調子が良すぎて浮かれているのか。クラブハウスに連絡し、思い当たる節のあるホールのグリーン周りを探してほしいと依頼。夫が指定したグリーンをマーシャルが探してくれたが、なかったとのこと。夫は四本もウエッジを持っており、プレーは好調もあってしのげてしまいハーフ40、夫のゴルフ史上最少スコアで終了した。
「昨日、自分はなにかやらかしても、いつどこでか、必ず心当たりがあるって言ってたよね」
「そうなんだよ。やっぱり俺も年取ったんだなあ。今までこんなことは一度もなかった。これからはじいさんになっていろいろやらかすから、ハナちゃんよろしくね」
昼食の最中も、ウエッジ四本もってるし、やっぱり52度ってなくても大丈夫なんだなあ、とクラブが無くなったこと自体は嬉しくなさそうだが、根本的なダメージは受けていない様子。休憩中何度かマスター室に確認を取るも、結局午後のハーフを出発する以前には出てこなかった。
最終的にウエッジは午後ハーフも半分を過ぎてからマーシャルが届けてくれた。どこにあったか尋ねると、いくつか後ろのカートが拾ってくれたそうで、どこで拾ったかはよくわからない、とのことだった。出てくるまで時間がかかったことから察するに、おそらくグリーン周りではなくコース上に忘れてきた可能性が高い。
「あたしは、こいついずれ痛い目に遭う、と思っていたけど、意外と早かった。仕事で起こると思っていたが早くもゴルフで来た」
こんな発言にも最少スコアのせいで夫はさほど気分を害さない。
「もう全然自分が信用できなくなった。これからはいろいろやらかすから、ハナちゃんよろしくね」
「急にそう自信喪失する必要もないけどさ。心の片隅で自分(の認識不足)かもしれないって思うことは大事だよ。それが謙虚さを生むからね」
このソフトランディングは箱根の神様の計らないなのか。もちろん私は「こやつに天罰が下りますように」なんてお願いはしていない。そんなお祈りをする場ではない。それにしてももちっと痛い目に遭ってしかるべき、と私の人生と照らし合わせて思ったりはした。結局夫は午後ハーフを46で回り、自己最小スコアには一歩及ばなかったものの、大荒れが二回続いたあとの好スコアに一貫して機嫌がよかった。
長年身についた傲慢がこの程度のことで一変するとは思えないが、ひとつの転換点にはなりうるだろう。
★今週の出来事★
8/20 藤井聡太棋聖、最年長タイトルホルダー木村一基王位(47)に勝利。18歳一か月の史上最年少で二冠、八段昇進。最年少記録を賭けて最年長タイトルホルダーと闘うという状況も将棋の素晴らしさを示している。サッカーの久保建英といい、こういう才気は彼らが将棋やサッカーを選んでいるわけではなく、将棋やサッカーのほうが彼らを選んでいるとつくづく感じる。本人の意図、意識とは関係なく常にその競技と一体化せざるをえないという才能の神髄。天才という言葉が簡単に使われるが、こういった「天才」に凡人がいかに挑んでいくか、食い下がれるか、勝利できるか、というのがすべての競技で起こるドラマであり、大衆を感動させる。マンガの「YAWARA!」はそこを描いた傑作だと思う。
以前藤井七段が17歳で年収二千万だとかというニュースを民放で流していた。あたしが常々要らないと思う「街の声」は中高生の子供や自分の夫の年収と比べたおばさんたちの「すごーい」連呼を採用していたが、現実の活躍の度合いから考えたら、圧倒的に少ない。将棋界からしたら、「二千万ぽっち」であれだけの活躍をしてくれる藤井君はものすごいコスパの良さだ。
それにしてもニュース番組における「街の声」「良識代表型のコメンテーター」、マジで要らねえ。イライラする。被災したひと、もしくはコロナ禍における医療現場で働く人の声、また事件における法律的見解、病気における医師の見解は別にして、ざっくり「街の声の代表」「良識の代表」要らない。前者は放送サイドの編集意図があるばかりだし、後者は無駄にエラそうなうえに無理やりコメントをしているのがほとんど。