うちの茶トラも耳に切れ目のある桜猫だが、私の住む地域には「地域猫」が何か所かにいて、ボランティアのひとが持ち回りで毎日エサをあげに行ったりしている。このボランティアのひとたちは正式に組織に登録しているひとたちと思われる。私も以前「名前を貸してくれ」と言われて貸したことがあるので、名前だけだがいちおう猫ボランティア登録員だ。
 私がジムに行く途中にも二か所「地域猫」が世話をされているところがある。私も通りかかった時はこの場所の付近にポイ捨てされたゴミ(吸い殻等)を拾う程度のことはしており、そのためのビニール袋を数枚、ジム用のバッグに常備している。その一方の場所で、私が「あじさい猫」と呼んでいる猫が世話をされていた。あじさいの植え込みのそばでひとりじっとしていることが多いので、私はそう呼ぶことにした。あじさいは人懐こい。あまりそばに寄って構っても結局エサもあげられないので、普段は少し離れた場所から挨拶するだけにしていた。野良猫にエサをあげるというのは基本的には責任が発生することだ。

 そのあじさいを見かけないことが多くなったが、つい先日、あじさいのためのエサ皿がいつもある植え込みにカードのようなものが二枚ぶら下がっていた。近寄ってみてみると、一枚目にこうあった。
「エサをくださった方へ。僕の里親になってくれるひとがみつかりました。今後そちらで生活します。今まで可愛がってくれてありがとうございました」
 日付とつけてもらったであろう名前が記してあった。その隣の枝に下がっている紙には、
「良かったね。友達が先に亡くなってひとりで寂しかったもんね。新しい家族と幸せになって、長生きしてね」
 私はあじさいの「友達」は知らず、気づいたときにはあじさいはひとりだった。最近見かけないことが多くなっていたのは、「里親」の家にいるようになったからだろう。
 あじさいは顔がへちゃっとしていて愛嬌があり、人懐こい子だったので、里親さんの面倒もよくみているだろう。ペットの方が実は飼い主の面倒を見ているというのは、飼った人間によくある実感だ。

 もうひとつの「ちょっといい話」。ジムの近くのマンションの住人がコロナに感染したとの話が出た。年齢性別は不明だが、一人暮らしとのこと。駅近くの古い建物で恐らく一戸一戸はさほど広くない、高齢単身者、高齢夫婦が多く住んでいそうなマンションだ。教えてくれたご常連に、
「その人、いろいろ大丈夫なの?」
 と聞くと、
「それが同じマンションの住人がいい人多くて、買い出しとか行ってあげてるんだって。対面しなくて済むように、ドアノブに買ったもの下げたりして」
 コロナに感染したひとの家に嫌がらせが集中して引っ越しさせるまでになった、とかいう某地方の地元話を聞いたことがある。うちの近所って意外と上等なんじゃね? 田舎ってある意味下劣になりやすいよな(ってこれは言わなくていいか)。

 こういうひとたちは猫や感染者に対して善行を為したというのもあるが、直接は関係のない私にも勇気とか希望とか、いいものを与えてくれた。「世の中捨てたもんじゃない」で終了じゃなくて、私自身、こういうひとたちをしっかり見習って、世の中にできることをきちんと実践していく決意に替えなくてはならない。誰かに見せるつもりはなくても、悪行も善行も何らかの形で世の中に伝わっているものだ。 

★うちの猫情報★
5/15 ワクチン接種。毎回病院に連れていくときは、行き帰りのキャリーケースの中でうんこやしっこをする。朝、家のトイレでうんこをしたのを確認したので「しめしめ」と思ったが、やはり行き帰り両方やられた。よくそう出せるよな。前の猫(アイコンの白猫)もキャリーケースに入れられるのは嫌がったが、こういうことはしなかった。帰りは自ら入るくらいだったのに、茶トラは帰りに入れるのも一苦労。そして帰りも脱糞。ちょっと頭弱めというか、かなりの臆病だ。