私と同じく1970年生まれ(らしい)で、2020年に亡くなった編集者で文筆家の高山真氏の自伝的小説。鈴木亮平・宮沢氷魚主演で2023年に映画化された。いちおうフィクションの体裁が取られていて、主人公の名前も「浩輔」になっている。

 浩輔は自身がそうと自覚するより先に周囲(クラスメイト)にゲイを察知されて、イジメられるようになる。つらい日常に自殺に想いを馳せるようになるが、母の病死をきっかけに「豚ども」のためには死ねないと勉強に本腰を入れるようになる。晴れて東京の一流大学に入学し、雑誌の編集者となって成功。
「異性愛の男友達や女友達が、僕がゲイであることを洋服の趣味の違いほどの気安さで受け止めて、すぐに次の金曜の夜遊びの相談をもちかけてきたとき、膝が震えてほとんど倒れそうだった。手に入れるのを夢見るどころか、望むこと自体を諦めていたことが、東京にはあったのだ」
 ブランド物の服を身にまとうようになって実家に帰省すれば、「豚ども」は浩輔とは対照的に色褪せた日常を送るようになっていて、そのことを「豚ども」のほうが認識している。
 浩輔はやがて運命の恋人、龍太に出会う。「売り」で癌に冒された母親との生活を支えていた龍太はそんな自分がつらくなって浩輔のもとを去る。「売り」のサイトから龍太を探し出した浩輔は月10万で自分の専属になってほしい、それでも足りない分は別のバイトで補ってほしいという提案をする。映画では月20万出すと言って、浩輔の生活に経済的な影響はないが、原作では月10万出せばそれなりに以前の生活は送れなくなっている。龍太の病気の母親に自分の亡き母親を重ねていた浩輔は、龍太を通じて自分ができなかった母親孝行の喜びを見出す。そんな中、過酷な労働時間のせいか龍太は突然死する。「あの男を断頭台の刃かげに置いたのは、ぼくだと思えてしょうがないんだ」という小説の一節が頭から離れない。自分の提案は恋人を死に追いやったのみならず、亡き母親に重ねていた女性からたった一人の息子を奪った。浩輔は龍太の死後もその母親のもとに足しげく通い、経済的にも援助を続けるが、ある時から拒絶されるようになる。
 思ったより短い小説だったが、面白かった。映画は濃厚な男性同士の性愛の描写があったりと、ゲイの恋愛映画の側面が大きかった印象があるが、小説に露骨な性描写は少ない(一部ありました。あとから読んだ友人より指摘アリ)。原作はどちらかといえば浩輔と龍太の母親とのやり取りが作品の中心にあり、「母」という存在を通じた浩輔の「愛」の葛藤が描かている。原作のほうが映画よりも直に伝わるものは大きく、シンプルに感動的だ。原作のほうが内容的により多くのひとに開かれていると思う。私がこれまで読んだ芥川賞作品とかよりずっと読みごたえがあった。
 映画には出てこないが、原作には恒二という友人が出てくる。私の友人によく「私には友達が少ない」と口にする女性がいるが、私にもこの恒二のような友人はいない。恒二を基準にするなら私にも友達はいないな、と思う。そもそも私から見ると彼女にそこまで「友人がいない」ようには見えないというか、傍目には家族もあって経済的側面等々あらゆる意味でかなり恵まれている。彼女の言うような意味で「友達」の有無がそれほど重要なことには私には思えず、彼女が何を思って時々そういうのかはよくわからない。とりあえず彼女も原作を読んで感動したとのこと。映画も見たくなったというが、本と同じ感動を求めるとちょっと違うかも、と伝えておいた。あらすじは同じなんだけど。
 この作品で浩輔の母親は浩輔が中学の時に癌で亡くなり、龍太が27歳で死に、おそらくその母親もその後さして間を置かずに亡くなっていると思われる。そして高山氏もおそらく50歳で癌で亡くなっている。今年の元日には石川を中心とした北陸に震災が発生するし、次の日には被災地に物資を運ぼうとした海自機と日航機が羽田で衝突して海自機側に複数の死者が出るし。人生っていうのはこういう風に往々にして容赦ないものだと私も思う。
(小学館文庫)

 


※映画にも出演しているドリアンさんがこの本について語っています。