※文中敬称略
先週サウンドバーの記事を書いたついでに、若いころ坂本龍一氏に握手してもらいサインももらった思い出も書いた。記事をアップしたのが3月30日で、教授が亡くなったという速報が出たのが4月2日日曜の夜だった。亡くなられたのは28日とのこと。こういった一致(シンクロニシティ)は時折人生に起こる。だからどうしたといわれればその通りだし、私の人生に何の影響もないが、何か私の内に深く沈み込む沈黙がある。沈むといっても暗いものではなく、言葉にならないなにかという意味だ。ただこういったオカルトめいたことをやたらに重要視するのは不健全なことだが。
この際なので当時のことをもう少し詳しく書きたい。
私は20代前半(つまり1990年代)で、都内某所でバイトをしていた。バイト仲間に矢野顕子の大ファンの子がいて、ある日近くのFM東京に坂本龍一が来ているから、サインをもらいに行こうと誘われて「出待ち」をした。どれくらい待ったか忘れたが、マネージャーらしき男性らと3人で出てきて、快く対応してくれた。バイト仲間の子は私同様自分の名前入りのサインを色紙にもらい、握手もしてもらって、
「奥さんの大ファンなんです!!」
と興奮した口調で言った。それに対し教授は、
「奥さんのほうだけなんですか?」
と微笑みながら余裕の対応していたのを覚えている。
誘われたときは「出待ちかあ。かっこわりいような」とそこまで乗り気でなかったが、52歳の今になって、まして教授が亡くなった今、あの時出待ちして少し言葉を交わして握手をしてもらって、本当に良かったと、誘ってくれた彼女に感謝したい。当時教授は40代前半。今の私より若いことになる。
享年71歳。1月の高橋幸宏氏に続いての訃報になる。1月にサウンドバーを買って、ハイレゾのライディーンをyoutubeで大音量で聴いたりしていたのにな。ある訃報記事に「理知的な印象から教授とも呼ばれ」なんてあったけど、違うでしょ。芸大の院卒だからでしょ。若い一時期、ほんとに坂本龍一よく聴いてたな。賛否両論だった沖縄のやつとかもあたしは好きだった。
訃報に際し、友人にLINEでかつてサインをもらったことを自慢した。フィギュアスケート観戦が趣味の友人曰く、戦メリとラストエンペラーはよくフィギュアでも使われるとのこと。彼女が言うには日本人は戦メリが多くて、外国人はラストエンペラーの印象があるとのこと。さっそく村元哉中&クリス・リードペアのアイスダンスのリンクを貼ってくれた。教授を偲ぶにふさわしい内容だった。友人は当然羽生結弦氏の大ファンでもあるので、私は、
「羽生君も教授の曲でやってほしかったな。彼には似合うと思う。戦メリとラストエンペラーはもう使われているならシェルタリングスカイがいいだろう」
とシェルタリングスカイをyoutubeで検索したら高橋大輔がすでに使っていた。見るとなかなかよかったが、採点では宇野昌磨に大差をつけられた二位だった。
「よく見えるのに、あんなに大差つけられちゃうんだ」と私。
「大ちゃんは四回転がないからね。昌磨は4回転2つ入れてる」
「相変わらずすごい記憶力だね」
「それより大ちゃんのシェルタリングスカイを忘れていた自分を許せない。全日本の録画も持ってるのに」
彼女はトリノオリンピック(2006)での荒川さんの演技に魅せられて以来フィギュアにハマったそうで、羽生君を「青田買い」しているのが自慢だ。もはや採点できそうな勢いで詳しくなっている。
みなそれぞれ、様々なものに魅了されて人生を形作っていく。
※その先週の記事