※多少ネタバレあり

 

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見るにあたり、永井路子「炎環」に続いて読んでみた。頼朝をして「日本国第一の大天狗」と言わしめた後白河法皇を描いた、さほど長くない小説だ。結論からいうと、知的で上品、上質な作品。読み手に歴史的背景に関する知識があるのを前提に書かれており、私くらいだと語句含め、かなりちょこちょこ調べながらゆっくり繰り返し読んだ。つまりしっかりした前知識がないと、例えば電車でちょっと疲れた頭でもサクッと読むというわけにはいかないと思う。ドラマで後白河院を演じているのは西田敏行。以下カッコ内は「鎌倉殿」での配役。


 この小説、四部構成になっていて、それぞれ違った話者が後白河院やその時代について語るという体裁をとっている。四人とも後世に歴史資料となる日記を残している人物だ。

 

 第一部の語り手は平信範55歳。信範は「今を時めく平家一門」ではなく「いわば疎流」で朝廷の事務職に就き、日々記録を取るのがお家代々の習慣になっていた。聞き手は内大臣藤原兼実18歳(ココリコ田中)。彼も記録を取るのが趣味?で、兼実の求めに応じて信範が約10年前の「保元平治の乱」、後白河帝即位のいきさつについて語る。この辺のことを章ごとのタイトルで明示してくれればいいのに、それがないので冒頭数ページで何が書いてあるのかピンとこず「つまらなそう」と挫折する人がいくらでもいそうだ。おまけにみなさんご存じの通り、保元平治の乱といえば平家台頭前夜。院政の時代で皇家、摂関家が武家の力を借り始めて内部抗争を続けていた。つまり名前だけなら皇家、摂関家(藤原氏)、武家(源平)と登場人物がやたらに多く、これをドラマならともかく名前(字)だけですらすらと消化していくのは至難の業。そもそもゴチャゴチャしててわかりにくい時代だ。

 後白河帝(雅仁親王)が即位したのは29歳のとき。同母兄にあたる崇徳帝のあとを異母弟にあたる近衛帝が継いだので、自然と皇位継承レースからは外れた存在とみなされていたが、病弱な近衛帝がわずか17歳で夭折したのを機に遅まきながら皇位が回ってくる。 
 この章で面白かった箇所。

「合戦騒ぎ(保元の乱)が終わって、私共に一番はっきりと感じられましたことは、長い間陰気にくすぶっていた皇室や公卿の対立が、合戦というもので、あっという間にかたづいてしまったということでございます。(中略)ある夜、どこからともなく武士たちの群れがやってきて、さしたる評定を開くでもなく、がやがや言い合ってひと晩眠り、朝早く出かけて行ったと思うと、あっという間に何もかもが片付いてしまった、このような感じでございました。長い間、公卿や朝臣たちがどうすることもできないでもて扱いかねていたものを、武士たちに頼んでみたら、ほんの一刻か二刻の時間で、簡単に処理してくれた、(中略)公卿や朝臣たちも自然に武士たちに一目置くようになり、武士たちは武士たちで、多少わがもの顔に振る舞うものが目立ってまいりました。(中略)後白河帝にいたしましても、武士たちのおかげで自分の即位を快しとしない(崇徳)上皇一門を再び立てない無力なものにできたのでありますし」

 後白河帝は藤原信西を利用して地位を確立したのち、増長した信西への当て駒として「文にもあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなく」のうえに傲岸な藤原信頼を露骨なえこひいきで登用。両者を対立させ信西を排斥すると、もはや用済みとばかり信頼も処刑。皇位につく以前は周囲から単なる居候の遊び人、信西からは能天気で抜けた男すらと見なされていた雅仁親王が、後白河帝として「大天狗」ぶりを発揮する発端が描かれる。

 第二章の話者は建春門院に仕えた女房で藤原俊成の娘、建春門院中納言。建春門院は後白河帝の女御で、高倉帝の母にあたる。高倉帝の中宮は清盛の娘の建礼門院徳子。建春門院は「平家の一門にあらざれば人にあらず」でお馴染みの平時忠の妹に当たるが、「あの兄にしてこの妹あり」ではなく、中納言曰く「ちょー美人でちょー性格いい」ってことらしい。基本ベタ褒めで、こういうタイプのおばさんのジャッジって眉唾だよな、って思ってしまうが、建春門院が寵姫で、かつ清盛と後白河院の間の緊張を和らげる存在だったのはつとに知られていたことのようだ。聞き手は明記なし。第一章と同じ藤原兼実と思いきや、話の中の登場人物として兼実の名前が出てくるので、この章の聞き手ではないようだ。この建春門院中納言によって高倉帝即位、安徳帝出生といった、清盛一門と関係が深くなる皇家(白河院一族)、建春門院の死により緊張が表面化する清盛と後白河院、そして鹿ケ谷の陰謀まで語られるが、この二部は大して面白くない。所詮おばさんの話すことなんてこんなもん?!(女性蔑視!?) 建春門院中納言日記がこんな内容なのか? 宮中の雅な華やかさがびっちり。源氏物語みたいな感じ。ていうかあたし的には大和和紀の名作漫画「あさきゆめみし」のイメージ。ちなみに第一章の語り手の平信範の娘も建春門院づきの女房だったとのこと。

 第三章の語り手は吉田経房。朝廷の官吏で、今度は第二章の中納言の男版。後白河院を盲目的に?敬愛し、心酔するおっさんだ。今のプーチンの側近ってこんな感じかね、と想像したりする。立場上なのか、中立であろうとか、客観的に語ろうとする姿勢がない。しかし二部と違ってむしろそこが面白い。聞き手はこれまた不明だが、朝廷の官吏である部下一同かと思われる。以仁王の乱、福原遷都、安徳帝即位、無節操に乱発される院宣(院の命によって実際書いたのは全部この経房)、清盛(松平健)の死、大飢饉、木曽義仲(青木崇高)の台頭・失脚、平家滅亡、後白河院と義経(菅田将暉)の接近などが語られる。ちなみ六波羅とは京都市内で平家の屋敷が密集していた地区らしい。第一章聞き手の藤原兼実を、院に対して大臣のくせに不誠実だと、はっきりクサしている。

 

 第四章の語り手は第一章で聞き手だった藤原(九条)兼実(ココリコ田中)。独白というか日記の形態だ。後白河院の死後になってその生前を振り返っている。正確には後鳥羽天皇が土御門帝に譲位して院政を始める日となっており、兼実は50歳頃。第一章から約30年が経過し、既に失脚して官職から退いている。義経(菅田将暉)の意を受けての頼朝(大泉洋)追討の院宣、続いて義経追討の院宣等について語られる。
 第三章で経房に正面切ってクサされていた兼実だが(兼実も承知している)、そもそも院政を諸悪の根源とみなしている。平氏から源氏に世が移って、それまでの態度、生き方を一変させる世の中に軽蔑とも諦めともつかない態度を示しつつ、

「変わらないのは僅かに吉田経房卿くらいであろうか。併し、経房卿ですら変わっているかも知れない。人となり公正にして、節操あり、後白河院に仕えて卿ほど二心ない人物はないと言われたが、頼朝卿の知遇を得て、議奏に薦められ、今は頼朝卿に対しても亦二心ないと言うべきである」
 四人の語り手全員が、大まかに言って同一の印象を後白河帝に抱いているが、やはり死後であるこの第四章で後白河帝という稀有な人物の正体が最も総括的、具体的に語られる。
「院はご即位の日から崩御の日まで、ご自分の前に現れてくる公卿も武人も、例外なくすべての者を己が敵としてごらんにならなければならなかったのである」
 常識的な「ものの道理」なんて徹底無視、軽蔑。
「院はあの時将来頼朝に自分の味方と思わせるような公卿をお作りになっておく必要をお感じになっていられたのである。そして余兼実を、そのような役目を果たす公卿としてお選びになられたのに違いない」
「院は義経をして頼朝をお討たせになりたかったのである。そしてまたそれができると、お考えになっていたのに違いない」
「院はそうした輩とお闘いになって、みなお倒しになった。一人残らずお倒しになった。御寵愛深かった義経卿さえやはりお倒しにならなければならなかった。頼朝卿をお倒しになれなかったことだけが、院にとっては、さぞお心残りのことであったろうと思われる」

 これからの「鎌倉殿の13人」でこの辺がどう描かれるか、より楽しみが増えた。読み終わってみると、同じ著者の「本覚坊遺文」に似た作風の印象というか余韻を感じた。
(新潮文庫 550円)

 


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