第52回(1964年)直木賞受賞作。あたしが生まれる前に書かれた、鎌倉時代を舞台にした歴史小説だ。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見るにあたって読んでみることにした。結論からいうとドラマに興味があるならかなりお薦めだ。次々出る登場人物も、ドラマのキャスト表と照らし合わせると区別しやすい。「昨日の友は今日の敵」。これが血縁の有無を問わず繰り広げられる過酷なシノギの世界。年がら年中血腥い。陰謀・暗躍・悲劇の連続だが、クールな文章で綴られているので実にスリリング。永井さんの作品は私は20代の頃「歴史を騒がせた女たち」という歴史エッセイを愛読したが(ほんとに繰り返し、本がボロくなるまで読んだ)小説は初めて。四つの短編で構成されている。カッコ内はドラマでの配役だ。

※多少ネタバレあり

 

第一話「悪禅師」。義経(菅田将暉)の同母兄・阿野全成(新納慎也)が主人公になる。この小説によると頼朝(大泉洋)の計らいで政子(小池栄子)の妹で義時(小栗旬)の姉・保子を娶る。ドラマで実衣という名前で宮澤エマ演じているのは義時の妹なので別人かと思いきや、後の阿波局のようなので同一人物扱いみたいだ。
 第一話はこの全成の視点を通じて鎌倉幕府の成立から源氏の血が絶えるまでを描くが、この設定が成功しており、無駄のないドライな緊張感で終始する。淡々と進む感じが良い。「底の知れない人」「人よりも嫉妬や猜疑が激しい」頼朝を間近で静かに観察し、ついには同母異母を含む兄弟で唯一頼朝により死を賜らなかった全成。その緊張感みなぎる生き様、頼朝と義経、範頼らの確執をつぶさに静観し絶妙の距離を取り続ける。「13人」の合議制が始まるきっかけとなった、頼家と北条一族の確執も見届ける。この第一話を読むだけで「鎌倉殿の13人」の全体的な雰囲気というか世界観を知ることが出来そうな気がする。こんなもんだよなあ。繰り返される陰謀の内側に全員がいる。誰が犠牲者ということもない、その場の勝ち負けがあるのみ。気の休まる暇なんてない裏切りと策略に満ちた世界だ。

 以下この作品を読むにあたって私が調べた語句。
御所・・・ここでは鎌倉における頼朝の住居、ひいては頼朝自身のこと。あたしはてっきり朝廷のことかと思って、当初話が見えなかった。
祐筆・・・書記みたいな役職
知遇・・・能力や人格を見抜いたうえでの手厚い待遇。
楚割・・・魚肉を細く裂いて乾燥させたものらしい。この小説では雉なので魚じゃないなあ。
ひさぎめ(字が出ない)・・・行商の女
韜晦・・・自分の本心や才能、地位を包み隠すこと。
謫居・・・たっきょ。とがめを受けて配流された先での生活。ひきこもり。
流言蜚語・・・根拠のない噂。流言と蜚語は同義。
落飾・・・身分の高い人が髪を剃って仏門に入ること。


第二話「黒雪賦」 主人公は梶原景時(中村獅童)。「13人」の一人。景時は当初平家方の人間だった。打倒平家の初戦、石橋山(現小田原市)の戦いで敗走した頼朝を追う立場にありながら、山中で今は敵対する友人土肥実平(阿南健治)を故意に逃がす。その時頼朝の存在を予想しながらも、姿は確認しなかった。景時はのちに源氏軍に降伏したのち重用される。一族の他の人間はその後頼朝に全員斬罪されたにもかかわらず。景時の頼朝への第一印象はというと、
「あれが武家の棟梁とよばれる人間なのか?(中略)むしろ景時が京で接したことのある公家連中の狡猾さに通じるものが感じられる」
 新府を鎌倉に開いた頼朝は神事に専心したりと、武士の棟梁としては、景時を始め周囲を失望させる行動が多かった。
「頼朝の表情は、時折複雑な屈折をみせることがある。彼が曖昧に微笑するとき、それは人一倍の自尊心を傷つけられたときなのだ。表面穏やかさを装っているものの、そんな時の彼の瞳が底知れない冷たいひかりを放っていることでもそれは知られた。もちろん、誰もこのことには気づいてはいない。一、二年側近にあって頼朝をみつめつづけた景時が、やっと窺い知った微妙な感情の屈折なのだ」
 景時はそんな頼朝の意を得て味方の有力者である上総広常(佐藤浩市)を暗殺する。第一話の全成に続いて、頼朝の暗く陰険で冷酷な性格を見抜いた男の視点で物語が綴られる。この頼朝像と景時、全成のキャラクターのリアリティは素晴らしい。同じ視点(理解)を得たうえで、景時は全成とは別の、さらに積極的な生き方を選択する。
 ちなみにこの小説では北条宗時(片岡愛之助)は石橋山で伊東祐親(浅野和之)に討たれている。
賦・・・詩や歌。
腰折れ・・・ここでは「腰折れ歌」。下手な歌。自作の和歌をへりくだって言う言葉。
小冠者・・・元服して間もない若者。
青侍・・・身分の低い若い侍

第三話「いもうと」 幼い妹たちが次々と有力豪族に政略結婚させられたのち、政子(小池栄子)の「妹の一人はそばに残さないと」の言葉あって、阿波局(宮澤エマ)は頼朝(大泉洋)の異母弟、全成(新納慎也)に嫁がされる。やがて全成の進言で阿波局は政子の息子、実朝の乳母になり、実朝に母親以上に懐かれる。

 もう本当に怖い。姉政子と妹阿波局の愛憎を描いた話。阿波局は天然の振りをして?さりげない画策をねじこむ。血縁ならではの憎しみの深さ、濃さ、粘着性、一種の共倒れがさらりとした筆致で描かれる。女同士、姉妹同士なだけにホラー度は随一。深い確執にありながらこの姉妹はずっとそばに居続けて互い、そして双方にとっての悲劇を共有する。

冠者…かじゃ。元服した年若い男子。若輩者。

 

第四話「覇樹」 義時(小栗旬)が主人公。この小説同様にドラマ「鎌倉殿」が描かれたとしたら、小栗旬が最も恐ろしい人物ということになる。その人格は複雑かつ孤独。常に首謀者にはならず。目立った意思表示をせず、「下っ端」的存在として機を見ること敏。静かに、あたかも父親時政(坂東彌十郎)他将軍家・北条家の手先として動いているような行動を取りながら、表立つことなく敵対勢力を殺害・排除していく。敵をだますには味方から、というがその最も巧妙なタイプか。ついには父親をも排斥し、二代執権の地位に就く。政子も義時にとっては「実姉なおかつ、表に出てくれる頼朝の後家」という格好の便利な人物だっただろう。
「実朝に対してばかりでない。四郎(義時)は誰に対しても言葉が少なく、あまり意見を述べたがらない。並びない権力を手中にしてからはさらにこうした傾きが強くなったようだ」
 なお実朝が公暁に誅される事件については、私は初めて見聞きする首謀者が設定されていた。ネタバレしちゃうと三浦義村(山本耕史)だ。小栗VS山本の結果の反映となっている。またしても陰謀だ。この説も一般的なのかしら。「鎌倉殿」ではどう描かれるんだろう。立ち読みしたドラマの副読本によると脚本の三谷氏は「吾妻鏡」に明確に反するようなことは書かないとあった。北条家によって編纂された歴史書「吾妻鏡」は相当「胡散臭い」というか「要検証なのは一目瞭然」といった歴史資料のようではあるが。
 やがて承久の乱へと事態は向かっていく。
「頼朝のように公家の顔色を窺って妥協を繰り返す武家の棟梁ではなく、はっきりと自分たちの側にたって権利を守りぬく新しい代表者、北条四郎を彼ら(鎌倉御家人たち)は見出す。非情なまでに冷静な、気心の知れない策略家とだけ思われてきた四郎が、俄かに小細工をかなぐりすてた力の人として彼らの目に映り始めた(中略)政治に与る政子の背後に(四郎義時が)坐るとき、人は言いしれぬ重みと大きさを感じるようになった。相変わらず四郎は無口である。表面に立って指図がましい事は殆ど言わない」
 義村は後鳥羽院による義時追討の密書を義時に差し出す。「このとき、義村は公暁事件のすべての負い目を返したのである」。
 この小説のこの第四話を読んで三谷氏が「誰もやってない義時を大河の主役にしよう」と思ったかもしれない、などと勘繰ったりした。読んでないことはない気がする。
隆替・・・りゅうたい。栄え、衰えること。盛衰。

所労・・・病気

愴惶・・・慌てふためくさま
きっ詐・・・いつわり、うそ。

霖雨・・・長雨
(文春文庫 680円)

※こっちもドラマの流れで読みました。西田敏行が演じてます。