第一巻で記事にして、次は七巻です。しかし「長い・・・」のであった。「読み終わらない・・・」のだ。
 前回の記事で言及した池波さんの「・・・」は、多少減った気はするが相変わらずで、いい加減慣れた。読み進んでいて思うのは、相当な群像劇であって、特に真田幸村(信繁)を中心に描いているわけでもないということだ。タイトルの通り、物語の中心は「真田家」で、その真田家以外、秀吉、家康を中心とする周辺の人々について割かれる部分も相当多い。真田家にやや重心を置きながら戦国時代から徳川幕府成立までを描く、といった様相か。再来年の三谷大河の予習のために読んでいるが、この小説を読む限りだと、堺くんにはやんちゃで感性によって生きる幸村より、幸村の兄貴で、知的で道義を重んじながらも大局を見据える信幸のほうがぴったりに思える。いずれにしても、昌幸、信幸に誰がキャスティングされるか楽しみだ。
 真田家に仕える忍者のことを「草の者」とこの作品では呼んでいる。猿飛佐助は出てこないけれど、「佐助」という名前の少年の草の者は出てくる。正直この草の者のくだりになるとあたしは退屈。時間軸的にというか、政局的な意味での物語のダイナミズムはこの描写で一気に遅延する。俳優の市村正親さんは、この草の者のエピソードが好きらしいが、私はやっぱり歴史の表舞台に関するエピソード群のほうが面白い。
 それにしても。草の者も敵対する忍者たちも、それぞれ農夫ほか様々な職業に身をやつして、諜報活動他の役割に超人的な活躍を見せる。あのテレビでよく見る、黒頭巾みたいなニッカボッカみたいなのを着て飛び回っている風の描写は一切ない。そりゃそうだ。あれ、目立ちすぎるよ。「忍者ですッ!」って制服着て告知してどうする。暗がりでは見えにくいかもしれないが、夜はやがて明けるし、月明かりだって相当明るい。百姓/行商系の「民間人」の扮装のほうがなにかと好都合だ。あのいわゆる「忍者スタイル」はどこから来たんだろう。本当に誰かしら実際あの格好していたのかなあ? 気づいてみればかなり疑問だ。
 関が原終了まで読んで、俄然興味が沸いてきたのは徳川家康だ。

 織田がつき 羽柴がこねし天下餅 すわりしままに食うは徳川

 

 なんて句があるらしい。当たり前だが、座って生き残っただけで天下が取れたわけもない。ただ当時の庶民たちの目から見たら、そういう風に思えないこともない気がする。

 

 ひとの一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし
 急ぐべからず
 不自由を常と思えば不足なし
 

 昔実家に東照宮土産らしき安っぽい派手な刺繍の掛け軸が下がっていて、家康が言ったらしいこの名言が書いてあった。「真田太平記」を読む限り、最初の狂歌よりはこっちの名言のほうが「家康らしい」けれど、でもこの名言から彷彿されるような、無欲で悟りきった坊さんみたいな男というのも全然違う。つーか、真逆だ。もっと脂ぎっている。家康こそ「老獪」「巨悪」タイプだ。

 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす

 実際家康が真田昌幸も驚くほど「我慢強い」「忍耐強い」ことについては、エピソードがたんまりあるようだ。
「ふつーじゃないよねー、その我慢強さ。感心するの通り超して、もう笑える」
 ってな感じのようだ。ただ当たり前だが、ただ「我慢して」「待った」結果、天下人の地位が回ってきたわけでもない。戦国の世にあっては、ちょっとした匙加減で命を落とした武将はいくらでもいる。家康だっていつ自分がそういう結末を迎えるかわかったものでないことは、ごく自然な感覚として受け止めていたはずだ。実際「こりゃ死ぬな」と何回も思っただろう。これは家康に限った話でなく、当時誰もが抱いていた人生観のはずだ。「座りしまま」ではないにしても、たくさん「待った」「我慢した」結果、家康には「強運にも」天下取りの機会をひきつけることができた。「待つ」ことは現代以上にリスクが高い(人生終わっちゃう)ことだったはずだ。そして慎重と果断を合わせた結果、徳川幕府の開祖となった。強運には、あとを継ぐ多くの息子に恵まれたことも含まれるのは秀吉を見れば明白。いろんなエピソードがぎゅう詰めの人生だ。家康のすごいところは、ただ我慢するだけでなく、我慢しながら野心が萎えなかったことだと思う。凡人は次々襲い掛かる逆境・不遇に我慢はできても気持ちは萎えるし、弱る。そうでなければ短慮に走る。そうならなかった根性の強さこそ、家康が持って生まれた性分だろう。臥薪嘗胆こそが家康の座右の銘だったのだろうか。漫画家里中満智子氏が「性格こそが運命だ」と言っていたのを思い出す。

「良いとか悪いとかは、この世界でははじめから問題にならない。知恵で戦い、力で戦う。負ければ手傷を負うが、当然のことで、それがいやならこの世界に入らなければいいのである」

 これは阿佐田哲也著「麻雀放浪記」を紹介する記事でも引用した文章だ。戦国時代も結局コレなんだけれど、アウトロー雀師たちと違って、建前上の「大義名分」は、大きなことを仕掛けるときにどうしても必要だ。「いちおう正義」「いちおう天下泰平のため」っていうのがないと通用しない。そういう意味では、雀師たちの人生はシンプルだ。
 というわけで家康に興味が沸いてきたものの、家康の人生を小説にしたので有名なのは山岡荘八著「徳川家康」全26巻。「真田太平記」全12巻で息も絶え絶えなのに、ちょっと今は考えたくない、と思う。ほんと、
「いつ読み終わるんだろう・・・」なのであった。
(新潮文庫 750円)

※「真田太平記 第一巻 天魔の夏」はコチラ(記事が長いわりに大して内容に触れていません)
※阿佐田哲也著「麻雀放浪記 青春篇」はコチラ
※里中満智子作「天上の虹 第22巻」はコチラ
※映画「清須会議」はコチラ
※最終巻「真田太平記 第十二巻」はコチラ