※ネタバレあり※
同じく寺島しのぶ、豊川悦司主演の「愛の流刑地」がダサ演出とダサ脚本のせいで、筋自体は面白くなりそうな話が、エロくもなければキレもない映画になってしまったのと比べたら、こっちは意外な掘り出し物。二時間以上必要な内容とは思えないけど、寺島しのぶがかなりの名演。言っちゃ悪いが、美人でもなんでもない彼女が主演の存在感充分。「愛ルケ」の陳腐な演技と大違い。脚本が陳腐だから仕方ないんだけど、こちらでは彼女の演技が脚本をよりよいものにしている。2006年の作品。「愛ルケ」はその翌年。
40歳まで独身だったあたしには、この映画に感覚的にかなり共有する部分がある。主人公の寺島は両親を亡くして躁うつ病。そんな境涯は違っても、空気というか、映画の質感に自分と同質のものを感じる。その延長で、あたしも尾崎豊の歌も歌声も苦手なんだよねえ、と思って見ていたら、結局この映画では尾崎が嫌いという扱いではないのが判明してガッカリした。
エロ方面も、「愛ルケ」の濡れ場より、この映画の冒頭の「合意の痴漢」のほうがずっとゾワゾワ来る。こういう「ゾワゾワ」を「愛ルケ」に求めていたのによ(と、柄が悪くなる昨日で43歳)。しかしこの痴漢役が田口トモロヲ。田口は「うなぎ」でも「カンゾー先生」でも変態みたいな役をやっていて、そういう役をきちんとやる役者は重要だと思うけど、田口はそれ以外ができないタイプの役者では当然なく(NHK「プロジェクトX」のナレーションでおなじみ)、なんか腑に落ちない。あたしとのめぐり合わせが悪いのか。フツーにそれなりの男前だと思うけど。豊川悦司の細身で長身、異様に脚の長い容姿は蒲田の商店街にあっては目立ちすぎ。
ウツの描写も表面を不誠実になぞっただけの「ツレがうつになりまして。」よりずっと真に迫っている。私はウツ病ではないので「ようにみえる」の域を出ないけど、それでも映画「ツレうつ」より原作漫画「ツレうつ」から伝わるものにずっと近い。それでも寺島がどうして無職のまま生活できるのかは不思議。元キャリアウーマンで貯金があるといっても、精神科の医者にかかりながらまったくの無収入で一人暮らしできるのってどれくらいの額なんだろう。蒲田の風呂なしボロアパートとはいえ、例えば銭湯代って毎日通えばけっこう高くつく。ご両親が亡くなってるから、その遺産でもあるのかな。あと最後の叔父さんとの電話のシーンはとても不自然。視聴者に内容を伝えたいなら、叔父さんの声が聞こえるようにしたほうが自然だと思う。なんで電話で話しながらそのまま寺島が内容を復唱するの。あまりに説明的すぎて大いに稚拙。そうでなくても最後豊川が死んじゃうのは違和感。物語上必要あるかなあ? 寺島の人生があまりに呪われすぎてウソくさい。最後の最後で取ってつけたようにされ、ここまでの寺島の熱演が虚しくなる。なんであんなラストになったのか。男たちはそれぞれ彼女とは別の場所で人生の可能性をみつける、彼女はバスタオルを脱いで銭湯の湯船に浸かれるようになる、でいいんじゃないだろうか。
ちなみにジムのお風呂からスーパー銭湯に20年近く通う私としては、バスタオルを巻いて湯船に浸かるなんてひとはみたことないし、ありえない。即苦情間違いなしだ。「病気ゆえに」ひとにやけど傷をさらすことに抵抗があるなら、どんなにボロくても風呂付の部屋を借りるのが自然だ。とにかくそんなに貧乏に見えないんだから。
この作品の原作は読んでいないが、同じ作家の芥川賞受賞作である「沖で待つ」は読んだ。やっぱり友人が早死にしちゃう話なんだけど、なんてつまらないんだろうと思った。同時期の直木賞「容疑者Xの献身」だって大して面白くなかったけど、「沖で待つ」のせいで妙に面白く思えてしまった。この映画の脚本は原作者の拒否によって活字化されなかったらしい。それで訴訟が起こったそうなのだが、原作者は具体的な拒否理由を明示していないそうだ。どうしてイヤだったんでしょうね? 普通に考えたら、脚本が目に触れる機会がひとに増えるほうが、原作を手に取られる機会も増えるのに。加えて訴訟というのは根気と忍耐を必要とする。それを押してでも断固として出版拒否の姿勢を維持したのは謎だ。映画化受諾後の原作者と映画製作サイドのコミュニケーションがうまくいかず、原作者としては「堪忍袋の緒が切れた」ことを示す最後の機会だったのだろうか。結局作者側が裁判に勝利している。最近の土屋アンナの舞台トラブルじゃないが、日本は原作者の権利が侵害されがちだというけれど。