保育園の父母会があった。
夏になると
プールの準備の説明とか
毎年同じことを聞くのに、
毎年忘れている。
今日なんて
質問までしちゃったよ。
自分の事が
全然信用できない。
自分の記憶とか、
自分の言った言葉とか、
夢と現実も交錯する。
今日だって
旦那のおにぎりをトンビが奪ったことがまだ忘れられないのか、
私がトンビと闘う夢を見た。
コンビニ弁当を胸に抱きかかえても
ビュンビュンと襲いかかってくるトンビに
「絶対負けないからなァァァァっっっ!!!!!」
って叫ぶ私。
夢の中ででも
こんなに強気なんだと
結構凹んだ。
トンビが怖いという気持ちよりも
明らかに
”負けたくない”
って思ってる自分が確実にいた感覚が
リアルに残っている。
私はいつの頃からか、
『負けたくない』
って気持ちが強くなった。
どっちかっていうと泣き虫だったって自分も
確かに覚えているけど、
二十ごろかその前からか、
負けたくない気持ちが強すぎて、
腹の立った相手をコテンパンにするまでは
許せなかった。
コテンパンにしたあとも
「ちょっとやり過ぎたかなあ・・・」
とか思うことはほとんどなく、
「おとといきやがれ!」
って気持ちで終わる。
その後に
その相手がその時、
どうしてそうしたのかが理解出来て、
「あの時は悪かったな」
って思うこともあるけど、
それはズーーーーーーーっと後の話になる。
それは我が子にもそう思ってしまう事がある。
「そんなことしてたら危ないよ!」
って何度言ってもやめなくて、
結局落っこちて泣いても、
「だからいったでしょ。今更泣いたって知るか!」
って思って慰めたりしない。
そんでついでに、
ちょっと気分がいい。
子どもが私の言った通りに
危ない目に遭ったところで
私の勝ちなのだ。
私はどこかでスッキリしているのだ。
「ほら、いわんこっちゃない。」
って思うと、気持ちいいのだ。
これってどうなんだろう。
最近特にそんな自分を客観的に見つめてしまう。
「そんな彼氏、止めた方がいいよ」
って言っても
そのまま突き進んだ人が、
やっぱり酷い目に遭ってしまった時、
「ビンゴ!」
みたいな気持ちになる。
ビンゴ!になるその前から、
どこかで
「酷い目にあっちゃえばいいのに」
って思っている自分もいる。
怖すぎて誰かの前でこのことを言葉にしたことは今までないけど、
包み隠さず言ってしまえば、
そういう自分がいる。
負けたくないのだ。
自分の思った通りにならない時は
私の負け。
だから
思った通りになった時は
勝ちなのだ。
全てにおいて、
そんな風に物事を見ている自分が
時々嫌になる。
けど
これは止めようと思ってもやめられない私の
”ヘキ”
なんだ。
私の本能がそうさせる癖。
”ヘキ”
はどうしようもならない。
厳格なお父さんが
実は女装の趣味があったって言われても、
私は絶対に否定しない。
気持ち悪いとか思わない。
むしろ逆に、
その人間がすごく愛おしく感じる。
その人をすごく人間らしく思える。
きっとどこかで、
そのヘキが生まれる何かが、
人生のどこかでその人には起こっているのだ。
それは、
その人が
人間に生まれて
人間として生きているってことなんだ。
そのヘキが
犯罪に当たってしまう人もいる。
けど、
きっと人間として生きている間に、
そのヘキが生まれてしまう
”何か”
があったはずなんだ。
犯罪として、結果的に起こった現実は
リアルだし残酷だし見過ごすことはできないけど、
その”ヘキ”の原因を
自分の中に自分で見つけ出して、
ちゃんと周りがそれを理解してあげないと、
その人はまた同じヘキを繰り返してしまうと思う。
罪を償うだけじゃ意味はない。
その罪を生んだ”ヘキ”。
その”ヘキ”が生まれた根源。
そこが重要なんだとおもう。
私もこの自分の”ヘキ”が気になりだした今、
自分自身を
見つめないといけない時がきたのかなって思う。